的場悠人の体和 Tai-wa 日記

理論と実践を行き来するヨガ研究者。ここではヨガ以外のことも。大学時代から継続のブログ。

ヨガ日記

ベイトソンの学習Ⅲ、僕のヨガのこと

ベイトソンの学習理論によると、 学習Ⅰ・・個々の具体的問題を解決すること 学習Ⅱ・・学習Ⅰにおける問題のコンテクストの性質を理解し、学習Ⅰの速度を上げること、性格、パラダイムの形成 学習Ⅲ・・自分のパラダイムの恣意性を突如悟り、人格の根本的変容を…

聖なるものに関わる「秘密」について

ベイトソンが挙げている例としては、バレリーナの踊りが白鳥のように見えるという時。 単に「白鳥のようなもの」として、比喩的な役割をする時と、 本当に「白鳥そのもののような感じ」を醸し出し、聖体(サクラメント)として見なされるような時、明らかに…

僕らは誤解によってしか実践を進められない

前回述べた重要なこととして、「何かと何かをつなぐ」際、実は僕らがやっているのは「つなぐ」ことではなく、「元々『1』であることを確認しているだけ」ということがある。 僕らは、「あれとつながりたい!」と対象をはっきり置くことによって、逆に分断を…

〈やや力作〉ヨガ・サーダナにおける「自己」認識の変化

ヨガにおけるサーダナ(実践:あなたが実際に行えること)。 アーサナ(呼吸に合わせて動く身体運動)とプラーナーヤーマ(身体の動きを止め、坐って行う呼吸の調整)。 これらによって、「自己」というもののとらえ方が変化することがある。 アーサナとは何…

ウソをつかない方がよい、ひとつの理由

ウソや隠し事は、「バレなければいい」では全然ない。 人間が行為する際には、たとえその行為が他の誰にも、何にも影響を与えていないようにみえたとしても、「学習」という作用が避けがたく起こってしまう。 つまり、その行為によって内的に変化が起こり、…

「いろんな経験をしろ」が、なんとなくイヤな理由

「いろいろな経験をするのが大事」。 よく人から言われるし、自分に言い聞かせる言葉としても、これに近い表現をすることがある。 特に若いうちは、いろいろな世界を知らないと・・・なんてね。 別に間違いではないし、「いろいろな経験をすることは大切」だ…

ハートを生きる??

つかみどころのない、しかし確実に存在しているもの。 それが存在していなければ、あとのすべても全く存在し得ないような、源。 それを、身体的に感じることがある。 胸の真ん中辺り、ハートに。 吸う息が入ってきて、吐く息がそこから出ていく、 はっきりと…

生命は、実感できなさに特徴をもつ。

有限な閥を持ってこの世に生まれる僕らが、実際にありありと(tangibeに)何かを感じられるとは、僕らの知覚範囲の中で、何か特定のものだけが特異的に変化を生じさせている、ということだ。 ・知覚範囲を超えたものは、知覚できない ・もし全体が一律に変わっ…

拡大・縮小・何が起きているか?

久しぶりに、時間をまったく気にせずにプラクティスをした。 ここ最近忙しくて、プラクティスはするものの、いつも終わりの時間を気にしながらの練習になってしまっていた。 現代人である僕らの多くは、時間の中に位置づけられ、次はこれ、その次はあれ、と…

お誘い②

僕らが、(主に他人に向けて)「愛情を示す」、「肯定的な目を向ける」と言う時、 それは具体的にどんな行動を指しているだろうか? ある時は、その人がよりのびのびと生きられるよう、邪魔なものを取り除いてあげることかもしれない。 ある時は、その人が強…

お誘い①

それを無理に、手放せなくてもいい。 それを無理に、受け入れなくてもいい。 手放すために、マインドであれこれ格闘しなくていい。 ただ、その息を吐いてほしい。可能なら、その吐く息が、よりスムーズに出ていくために、あなたの身体の他の部分も協力してあ…

矛盾を矛盾のまま実装したひとつの実践

例えば、「傷つけてはいけない」(Ahimsa)と、 「嘘をついてはいけない」(Satya)を同時に命じられるような時。 出された料理がまずかった時、一生懸命作った人に「お味はどう?」などと聞かれたら、どうしてよいか分からなくなる。 例えば、「欲張るな、…

因果の中に位置づけられるヨガ

前回から引き続き、「原因と結果の究明に忙しい世」ということについて書いてみる。 この思考パターンに慣れ過ぎると、特定の何かを、すべてを解決するような救世主的存在として置きたくなる。 ヨガを伝える際も、そんな願望を持っていそうな人に出会う。 あ…

ハロウィンへのお誘い、的な意味で。

「あなたの中で起こっている、呼吸というパーティーは終わらない」 by マーク・ウィットウェル 現にあなたが生きている、という燦然たる事実がある。 その事実に、どう取り合うか、僕らには自由が与えられている。 それを賛美することもできるし、そんなこと…

姉とのやりとり

今日、今まで全くヨガに興味を示してこなかった姉と話しました。 「ヨガの効能を教えてくれて、それが私のニーズに合ってたらやる」というきわめて男性的な挑戦(?)を受けて、僕もそれに乗っかり、プレゼンのような形でヨガについて話しました。 僕の伝え…

「おみそ汁ヨガ」

ヨガスタジオに行ってヨガをするって、人によっては「高級レストランに行って食事する」くらいの感覚なのかもしれない。ちゃんとお洒落して、上品な振る舞いをして‥というように。 僕が伝えようとしているのは、むしろ「家庭料理のおみそ汁」くらいの感覚だ…

ヨガ実践における「苦しみ」のパラドックス

あえて、こんなことを言ってみたい。 ヨガは、苦しみ(ドゥッカ)の解決ではない。 苦しみのある世界から、ない世界への移行ではない。 ヨガは、部屋の中で行う、気持ちよくなるための儀式のようなものではない。 端的に、生の全体を知覚し、それと親しむこ…

ハートオブヨガ 僕らに接続されるヨガ

どんなに素晴らしい、洗練された文化でも、この世に素晴らしいものとして表れてくるには、ひとつのハードルを超えなければならない。 それは、「あなたが実際にやる」ということだ。 (別にあなたじゃなくてもいいのだが、実際に生きている人によって為され…

「愛」の出所

Body loves its breath. Inhale loves exhale. (身体は呼吸を愛している。吸う息は吐く息を愛している。) ハートオブヨガ提唱者、マーク・ウィットウェルの言葉。 この言葉が意味しているのは何か? 端的に言うと、 愛の出所は「私」ではないということ。 …

ヨガは「誰でもできる」のか

(前回の続き) もしヨガが全人的なものであり得たとしても、 実際に僕がヨガを伝えるとき、 具現化するそのかたち、言語化するその言葉は、 目の前にいるあなた専用であり、決して全人的ではあり得ない。 全人的であることを志向しつつも、 目の前の人に向…

ハートオブヨガ、先人たちへの信頼

いのちに導かれて動く。 すると、自分があれこれ考えようと、有無を言わせないほどの強い必然性を感じられたりする。 一人称「私」を大きく超えた、大文字のいのちの力。 さて、ヨガにおける「アーサナ」はどうだろう。 どの程度動くかは、その時のいのちの…

完了する吐く息、志向する吸う息

母との会話を通して分かったこと。 「そのままでいい」は、「そのままでいろ」じゃない。 生きようとする欲動として、運動として、方向性として、「いま」が存在している。 だから、未来を志向することが、今のこれではなくあれになろうとすることが、 その…

ポーズをとるのは誰か。

そういえば、インドでこんなことを言われた気がする。 「ポーズをとっているのは、わたしではない」 この時は、えらくスピリチュアルな言葉に聞こえた。 実際、この言葉の発言者は、おそらくヒンドゥー教徒で、「わたしではなく、シヴァがわたしにポーズをと…

補助輪との友好な関係

頼りにはなっても、全面的には頼り切れないと悟った時から、自立が始まる。 まだ支えが必要な人に、「補助輪なんかに頼ってないで、早く自立しろ」と言うのは、ちょっと的外れだ。 補助輪の「補助輪性(いつかは取り外し、自らの足で歩む覚悟をしつつ付き合…

見つめるということ

いろいろな自分がいる。 中には、認めたくないようなヤツもいる。 そんなヤツは排除して、自分にとって都合のいい部分だけ育てたくなったりする。 でも、認めたくないようなまさにその部分が、実は自分の生命を成り立たせてくれていたりする。だから、しょう…

いのちという〈コト〉

私のそもそもの原点は、昆虫が大好きな昆虫少年として野原で虫を追いながら、自然の美しさや、例えば蝶の一生での、それが芋虫(幼虫)から蝶(成虫)に変わっていくメタモルフォ―シス(変態)のすばらしさなどに感動したところにあります。(・・) 生命と…

バンダ、生命、おしっこの話

ヨガをしている最中、トイレに行きたくなってしまった。 が、少しキリが悪かったので、少しそのまま続けた。 その時に、漏れないように我慢してくれているカラダの不思議さを垣間見た。 バンダ(bandha)。 ヨガをやっている人なら、一度は聴いたことがある…

生命のヨガ 途切れることのない流れ 

僕らがふだん意識していなくても、そこにマインドを向けてやらなくても、 生命はある。血が流れている。心臓が脈を打っている。呼吸が出たり入ったりしている。 それらは、本質的に、nurtiring / caring process (生命を養い、癒すプロセス)である。 たと…

人が変わるということ

「私、変わったの!」などと宣言することは、 変わる以前の自分にとらわれ続けていること(あるいはまったく変わっていないこと)の、強すぎる証明である。 変わろうとするその言動が、過去の自分をかき消そうとする消しゴムの動きをしている限り、その動き…

選択するカラダ、捨てるカラダ

生きることは、選択の連続だ。 生き始めた時点で、毎瞬間、何かを選び取り、何かを捨て、そうやって生きてきた結果の総体が、今の僕だ。 僕らは、いかなる手段をとっても、「無選択」ではいられないし、中立でもいられない。 ここでいう「選択」とは、職業な…