的場悠人の体和 Tai-wa 日記

理論と実践を行き来するヨガ研究者。ここではヨガ以外のことも。大学時代から継続のブログ。

日常にある出来事の思索

インド哲学を学ぶ大学生の自由さと、それを学んだ後の新入社員の不自由さについて

大学時代、ともにインド哲学を勉強していた友人と話した。 僕らは同期だが、僕は1年休学していたので、僕が社会人1年目なのに対し、彼は社会人2年目だ。 インド哲学で僕らが学んだことは、率直に言うと、「この世の空性を悟る」ということだった。 この世…

非-理性ではなく、超-理性を。

全てを理性によって検証していこうとする合理性と、宗教、スピリチュアリティって、どうも相性が悪いみたいだ。「スピリチュアリティ=非合理」というイメージを持つ人は多いかもしれない。確かに、そういったコミュニティ(の多く)に立ち入るには、一旦理…

ベイトソンの学習Ⅲ、僕のヨガのこと

ベイトソンの学習理論によると、 学習Ⅰ・・個々の具体的問題を解決すること 学習Ⅱ・・学習Ⅰにおける問題のコンテクストの性質を理解し、学習Ⅰの速度を上げること、性格、パラダイムの形成 学習Ⅲ・・自分のパラダイムの恣意性を突如悟り、人格の根本的変容を…

世界から切り出される「私」と「今」

しゃべる、ということによって、僕らはどんな前提世界に身を置いているか。 言葉というのは、 他者から切断された「私」や、過去や未来から切断された「今」を、 虚構的に切り出す。 そうすることによって、ある長さを持った音が「ひとつの音」として同定さ…

ウソをつかない方がよい、ひとつの理由

ウソや隠し事は、「バレなければいい」では全然ない。 人間が行為する際には、たとえその行為が他の誰にも、何にも影響を与えていないようにみえたとしても、「学習」という作用が避けがたく起こってしまう。 つまり、その行為によって内的に変化が起こり、…

風邪をひいてます。その最中に。

風邪ひいております。一昨日から、久しぶりに高熱を出し、寝込んでいます。高熱は、普段処理し切れていない「悪いモノ」も殺してくれると聞きました。 もちろん、「悪いモノ」だけじゃなく、通常の機能を果たしている器官たちも熱に晒されるし、場合によって…

「いろんな経験をしろ」が、なんとなくイヤな理由

「いろいろな経験をするのが大事」。 よく人から言われるし、自分に言い聞かせる言葉としても、これに近い表現をすることがある。 特に若いうちは、いろいろな世界を知らないと・・・なんてね。 別に間違いではないし、「いろいろな経験をすることは大切」だ…

言語の一面性について

言語とは通常、ひとつの側面だけを強調して語る。 言語という、直線的に編まれていくこの道具の、宿命とも言えること。 一度にひとつのことしかしゃべれないし、 ひとりの人には、ひとつの口しか付いていない。 「もっと食べたいな」という言葉の中には、ほ…

生命は、実感できなさに特徴をもつ。

有限な閥を持ってこの世に生まれる僕らが、実際にありありと(tangibeに)何かを感じられるとは、僕らの知覚範囲の中で、何か特定のものだけが特異的に変化を生じさせている、ということだ。 ・知覚範囲を超えたものは、知覚できない ・もし全体が一律に変わっ…

メタファーを組み替え、花粉症に対処する。

僕らは、メタファー※1(隠喩、物語)を用いて考える。 あるメタファーによって現象を一度とらえると、僕らの知覚作用は、そのメタファーに浸食されたイメージによって現実を見るようになる。 そのメタファーが、あまりにも不適切にも関わらず、よく吟味され…

花粉症になんか、させられるんじゃない!

今年の春、自分の中で標語にしてみたい言葉。 「花粉症になんか、させられるんじゃない!」 身体的に出る症状がある。 それに、どうも心の状態が影響しているらしい。 身体と心、日常的になんとなくふたつのものとして扱っている二者は、別物にも見えるし、…

拡大・縮小・何が起きているか?

久しぶりに、時間をまったく気にせずにプラクティスをした。 ここ最近忙しくて、プラクティスはするものの、いつも終わりの時間を気にしながらの練習になってしまっていた。 現代人である僕らの多くは、時間の中に位置づけられ、次はこれ、その次はあれ、と…

矛盾を矛盾のまま実装したひとつの実践

例えば、「傷つけてはいけない」(Ahimsa)と、 「嘘をついてはいけない」(Satya)を同時に命じられるような時。 出された料理がまずかった時、一生懸命作った人に「お味はどう?」などと聞かれたら、どうしてよいか分からなくなる。 例えば、「欲張るな、…

サッカー少年が、ゆるやかに死んでいく過程

なんだかよく分からない偶然が続いて、サッカー少年だった時代の僕のことを、振り返らざるを得なくなった。 というより、僕の過去が、勝手にストーリーとして紡がれて、今の自分を編み込んでいる素材として、ありありと感じられるようになった。 そういえば…

学び、別人になり、そして忘れよ

何か夢中になっている本があったり、刺激的な学びがあった直後のこと。 人と話す時に、ついそのことばっかり話してしまうことがある。 でも、その時、その「本や学んだことの内容を」話すことに夢中になってしまい、「その人と」話すことがおろそかになって…

No Rush!

どんなに畑仕事を頑張っても、たくさん水や栄養を与えても、それで収穫が早くなるわけではない。 生が経験することを早送りで進めることはできない。 どんなに厚い本も、1ページずつ読み進めるしかない。 本の厚さを見て、まだこれしか読んでいないのか、と…

はかない「自分」による「自分」論

前回の記事を読んでくれた人から、質問をもらった。 前回記事「因果の中に位置づけられるヨガ」 問題となった箇所はこちら。 原因と結果の連鎖を見通し、諸々の関係において浮かび上がってくる「自分」というものについて知ること(svadhyaya 自己理解)。 …

過去について語るということ

以下の文章を読んだ時、ちょっと救われた気がした。 夢を語ればその動機を問われ、信念を論ずればその根拠を訊ねられる。病があれば病因を探りはじめ、事故があれば責任の所在が追及される。とかくに人の世は、結果と原因の究明に忙しい。 しかし世界は、原…

Satー在るーの知覚

神秘とは、世界がいかにあるかではなく、あるというそのことである。 (ウィトゲンシュタイン) 「在る」ということが、すでにはらんでいる神秘、美、完全性がある。 これは、(その気になれば、)いつでも味わい得る。 この味をしっかりと覚えておいて、あ…

存在肯定について

電車の中に赤ん坊がいると、周りの大人たちが、全くの他人にも関わらず、赤ん坊に笑いかけることがある。赤ん坊たちは、存在しているだけで、絶大なる肯定のまなざしを向けられているようにみえる。 自己が存在していることに対する肯定感。僕自身がそれを育…

自然との関わり

自然が美しい、と言う時、 自然とのリアルな関わりの中で、辛苦も共にし、その上で美しさを垣間見ることと、 管理された自然を無害な立場から傍観者的に見て「美しい」と言うことは、 全く違う。 文明人は、圧倒的に後者が多くなる(「植物園」なんていうの…

観察という言葉について

世界を眺めたとき、そこに美しさが見えるだろうか。 もし見えないのなら、美しいと知覚することを妨げている何かが(自分の中に)あるのだ。 しかし、もっとよく見ると、 その(妨げになっている)「何か」すらも、世界の美しさの一部なのだ。 だから、自分…

印象的な言葉たち

昨日、私は今日よりも照らされ方が少なかったわけではないし、今日、より多く照らされているわけでもない。なぜなら、もし昨日私が事をこの様に見ることができたなら、私は確かにそう見ただろうからである。(『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』) なんだ…

カフェインが効きすぎることについて。こころとからだの観察記。

僕のカラダは、カフェインに敏感らしい。 コーヒーや紅茶を飲むと、頻繁にトイレに行かなければならなくなるし、 その晩眠れなくなることもよくある(あった)。 例えば、 ・午後3時にカフェでコーヒーを飲む。 →朝5時まで眠れない。 ・午前10時に家で紅…

弱さ

破壊のたやすさ。 ほんとにちょっとしたことで揺らぎ得るということ。 しかも、揺らぎの要因は至る所に溢れており、むしろ安心していられるのは奇跡的だということ。 さまざまな要因に下支えされた「安心」が、 何かのおかげだなんて簡単には言えないし、 ま…

「美」のありか

たぶん、 桜の花が美しいのではなく、 世界に遍在している「美」を、 桜の花が僕らに知覚させるのだ。 その気になれば、 どんな経験からも、 「存在していること」が潜在的にもつ「美」に到達することはできる。 問題は、「その気になれないこと」があまりに…

補助輪との友好な関係

頼りにはなっても、全面的には頼り切れないと悟った時から、自立が始まる。 まだ支えが必要な人に、「補助輪なんかに頼ってないで、早く自立しろ」と言うのは、ちょっと的外れだ。 補助輪の「補助輪性(いつかは取り外し、自らの足で歩む覚悟をしつつ付き合…

見つめるということ

いろいろな自分がいる。 中には、認めたくないようなヤツもいる。 そんなヤツは排除して、自分にとって都合のいい部分だけ育てたくなったりする。 でも、認めたくないようなまさにその部分が、実は自分の生命を成り立たせてくれていたりする。だから、しょう…

何を願うのか

自分がすこやかでいたい。 家族がすこやかでいてほしい。 できれば、みんなが、全人類が、全生命が、すこやかでいてほしい。 そこにおいて、使えるものは使えばいい。 回りくどいよりは、すみやかなやり方がいいだろう。 複雑なよりは、たやすい方がいいだろ…

「異」との幸運な出会い

あらゆる限定を取り去って自由に振る舞ったり、 すでに与えられている生命のすばらしさを味わったり、 そんな体験をし、そのような仕方で生きていくことを導いてくれるような実践体系がある。 しかも、その実践における「技法」などの優越によって、権力構造…