言語の一面性について
言語とは通常、ひとつの側面だけを強調して語る。
言語という、直線的に編まれていくこの道具の、宿命とも言えること。
一度にひとつのことしかしゃべれないし、
ひとりの人には、ひとつの口しか付いていない。
「もっと食べたいな」という言葉の中には、ほんらい、
「でもお腹がはち切れるほどはいらないよ」という逆の意味も含まれている。
が、言語は片側だけを強調してしまう。
もっと多く!
そして、この言語をもとに、
常に「もっと多くの食物を望む存在」であるかのように、人々が想定され、
その想定に基づいて社会がつくられていったりする。
うーーーむ。
この誤謬から離れるには、その言語が立ち現れてくるところ(=生命、現象)に立ち戻り、本来の意味を生き直すしかないのだが、
速く、多く、効率的に、という世界観にどっぷりはまっていると、
そんな面倒なことをしなくなってしまう。
ここに、危うさがあるような気がしている。