的場悠人の体和 Tai-wa 日記

理論と実践を行き来するヨガ研究者。ここではヨガ以外のことも。大学時代から継続のブログ。

言語の一面性について

言語とは通常、ひとつの側面だけを強調して語る。

言語という、直線的に編まれていくこの道具の、宿命とも言えること。

 

一度にひとつのことしかしゃべれないし、

ひとりの人には、ひとつの口しか付いていない。

 

「もっと食べたいな」という言葉の中には、ほんらい、

「でもお腹がはち切れるほどはいらないよ」という逆の意味も含まれている。

が、言語は片側だけを強調してしまう。

もっと多く!

 

そして、この言語をもとに、

常に「もっと多くの食物を望む存在」であるかのように、人々が想定され、

その想定に基づいて社会がつくられていったりする。

 

うーーーむ。

この誤謬から離れるには、その言語が立ち現れてくるところ(=生命、現象)に立ち戻り、本来の意味を生き直すしかないのだが、

速く、多く、効率的に、という世界観にどっぷりはまっていると、

そんな面倒なことをしなくなってしまう。

 

ここに、危うさがあるような気がしている。