的場悠人の体和 Tai-wa 日記

理論と実践を行き来するヨガ研究者。ここではヨガ以外のことも。大学時代から継続のブログ。

2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧

「愛」の出所

Body loves its breath. Inhale loves exhale. (身体は呼吸を愛している。吸う息は吐く息を愛している。) ハートオブヨガ提唱者、マーク・ウィットウェルの言葉。 この言葉が意味しているのは何か? 端的に言うと、 愛の出所は「私」ではないということ。 …

カフェインが効きすぎることについて。こころとからだの観察記。

僕のカラダは、カフェインに敏感らしい。 コーヒーや紅茶を飲むと、頻繁にトイレに行かなければならなくなるし、 その晩眠れなくなることもよくある(あった)。 例えば、 ・午後3時にカフェでコーヒーを飲む。 →朝5時まで眠れない。 ・午前10時に家で紅…

弱さ

破壊のたやすさ。 ほんとにちょっとしたことで揺らぎ得るということ。 しかも、揺らぎの要因は至る所に溢れており、むしろ安心していられるのは奇跡的だということ。 さまざまな要因に下支えされた「安心」が、 何かのおかげだなんて簡単には言えないし、 ま…

「美」のありか

たぶん、 桜の花が美しいのではなく、 世界に遍在している「美」を、 桜の花が僕らに知覚させるのだ。 その気になれば、 どんな経験からも、 「存在していること」が潜在的にもつ「美」に到達することはできる。 問題は、「その気になれないこと」があまりに…

ハタ・ヨーガの自己愛的な性格と、世界への愛

カラダをえこひいき的に愛することと、 カラダへの愛から世界への愛へと広げていくことの違い。 「私だけは!」「このカラダだけは!」という仕方で現れてくる自己愛的なカラダへの愛は、偏愛だ。 アーサナを中心としたハタ・ヨーガの実践は、一見このような…

ヨガは「誰でもできる」のか

(前回の続き) もしヨガが全人的なものであり得たとしても、 実際に僕がヨガを伝えるとき、 具現化するそのかたち、言語化するその言葉は、 目の前にいるあなた専用であり、決して全人的ではあり得ない。 全人的であることを志向しつつも、 目の前の人に向…

ハートオブヨガ、先人たちへの信頼

いのちに導かれて動く。 すると、自分があれこれ考えようと、有無を言わせないほどの強い必然性を感じられたりする。 一人称「私」を大きく超えた、大文字のいのちの力。 さて、ヨガにおける「アーサナ」はどうだろう。 どの程度動くかは、その時のいのちの…