的場悠人の体和 Tai-wa 日記

理論と実践を行き来するヨガ研究者。ここではヨガ以外のことも。大学時代から継続のブログ。

ブログ移行のお知らせ

的場悠人のブログ「体話 Tai-wa 日記」は、 新ブログへ移行いたします。 新ブログはこちらからご覧いただけます。 的場悠人|『ヨガの贈り物』 今後もよろしくお願いいたします。

インド哲学を学ぶ大学生の自由さと、それを学んだ後の新入社員の不自由さについて

大学時代、ともにインド哲学を勉強していた友人と話した。 僕らは同期だが、僕は1年休学していたので、僕が社会人1年目なのに対し、彼は社会人2年目だ。 インド哲学で僕らが学んだことは、率直に言うと、「この世の空性を悟る」ということだった。 この世…

誤解への賛歌

これも私じゃない、あれも私じゃない。 今、私だと思っているこれは、じっくりと眺め、循環させ、ちょっと離れてみると、 ただの「私の一部」であって、決して私そのものではない。 より大きな私が流れ込んでくる。 この繰り返しなのか? どこまでいっても「…

非-理性ではなく、超-理性を。

全てを理性によって検証していこうとする合理性と、宗教、スピリチュアリティって、どうも相性が悪いみたいだ。「スピリチュアリティ=非合理」というイメージを持つ人は多いかもしれない。確かに、そういったコミュニティ(の多く)に立ち入るには、一旦理…

生命と言葉について

意識というのは、システミックな存在である我々のほんの一部でしかない。 他を振り切って自己中心的に閉じていく意識と、より賢明に全体を巻き込んで働く意識には、どのような違いがあるのだろう? 後者のような意識であるためには、意識をどのようにセット…

ヨーガスートラ・Googleマップ説

卒論執筆中に思いついたこと。 ひとつの例えとして有効かな、と思ったので書いてみる。 「ヨーガスートラは、Googleマップのようなもの。」 それ全てを通読し、見通し、理解することを目的に書かれたものではない。 世界地図を隈なく見尽くして、(世界その…

ベイトソンの学習Ⅲ、僕のヨガのこと

ベイトソンの学習理論によると、 学習Ⅰ・・個々の具体的問題を解決すること 学習Ⅱ・・学習Ⅰにおける問題のコンテクストの性質を理解し、学習Ⅰの速度を上げること、性格、パラダイムの形成 学習Ⅲ・・自分のパラダイムの恣意性を突如悟り、人格の根本的変容を…

聖なるものに関わる「秘密」について

ベイトソンが挙げている例としては、バレリーナの踊りが白鳥のように見えるという時。 単に「白鳥のようなもの」として、比喩的な役割をする時と、 本当に「白鳥そのもののような感じ」を醸し出し、聖体(サクラメント)として見なされるような時、明らかに…

世界から切り出される「私」と「今」

しゃべる、ということによって、僕らはどんな前提世界に身を置いているか。 言葉というのは、 他者から切断された「私」や、過去や未来から切断された「今」を、 虚構的に切り出す。 そうすることによって、ある長さを持った音が「ひとつの音」として同定さ…

僕らは誤解によってしか実践を進められない

前回述べた重要なこととして、「何かと何かをつなぐ」際、実は僕らがやっているのは「つなぐ」ことではなく、「元々『1』であることを確認しているだけ」ということがある。 僕らは、「あれとつながりたい!」と対象をはっきり置くことによって、逆に分断を…

ヨガは何を「つなぐ」のか

・つなぐ、結びつけること ・今まで到達できなかったものに到達すること ・現在の完全性をただ抱きしめること ・注意深く行為すること ・神など高次な存在と結合すること ・マインドをひとつの方向に向け(、その結果マインドの揺れ動きが止ま)ること これ…

〈やや力作〉ヨガ・サーダナにおける「自己」認識の変化

ヨガにおけるサーダナ(実践:あなたが実際に行えること)。 アーサナ(呼吸に合わせて動く身体運動)とプラーナーヤーマ(身体の動きを止め、坐って行う呼吸の調整)。 これらによって、「自己」というもののとらえ方が変化することがある。 アーサナとは何…

ウソをつかない方がよい、ひとつの理由

ウソや隠し事は、「バレなければいい」では全然ない。 人間が行為する際には、たとえその行為が他の誰にも、何にも影響を与えていないようにみえたとしても、「学習」という作用が避けがたく起こってしまう。 つまり、その行為によって内的に変化が起こり、…

風邪をひいてます。その最中に。

風邪ひいております。一昨日から、久しぶりに高熱を出し、寝込んでいます。高熱は、普段処理し切れていない「悪いモノ」も殺してくれると聞きました。 もちろん、「悪いモノ」だけじゃなく、通常の機能を果たしている器官たちも熱に晒されるし、場合によって…

「いろんな経験をしろ」が、なんとなくイヤな理由

「いろいろな経験をするのが大事」。 よく人から言われるし、自分に言い聞かせる言葉としても、これに近い表現をすることがある。 特に若いうちは、いろいろな世界を知らないと・・・なんてね。 別に間違いではないし、「いろいろな経験をすることは大切」だ…

ハートを生きる??

つかみどころのない、しかし確実に存在しているもの。 それが存在していなければ、あとのすべても全く存在し得ないような、源。 それを、身体的に感じることがある。 胸の真ん中辺り、ハートに。 吸う息が入ってきて、吐く息がそこから出ていく、 はっきりと…

言語の一面性について

言語とは通常、ひとつの側面だけを強調して語る。 言語という、直線的に編まれていくこの道具の、宿命とも言えること。 一度にひとつのことしかしゃべれないし、 ひとりの人には、ひとつの口しか付いていない。 「もっと食べたいな」という言葉の中には、ほ…

生命は、実感できなさに特徴をもつ。

有限な閥を持ってこの世に生まれる僕らが、実際にありありと(tangibeに)何かを感じられるとは、僕らの知覚範囲の中で、何か特定のものだけが特異的に変化を生じさせている、ということだ。 ・知覚範囲を超えたものは、知覚できない ・もし全体が一律に変わっ…

メタファーを組み替え、花粉症に対処する。

僕らは、メタファー※1(隠喩、物語)を用いて考える。 あるメタファーによって現象を一度とらえると、僕らの知覚作用は、そのメタファーに浸食されたイメージによって現実を見るようになる。 そのメタファーが、あまりにも不適切にも関わらず、よく吟味され…

「外」としての自然、そして自己

普段僕らが扱っているものとしての自然は、人間的な意味を担わされ、道具、資源、鑑賞などの対象に貶められている。しかし、そんな意味を超えて、理不尽に、不条理に、まったくの「外」から、到来してしまう自然がある。 8年前に僕らが見たのは、その片鱗か…

花粉症になんか、させられるんじゃない!

今年の春、自分の中で標語にしてみたい言葉。 「花粉症になんか、させられるんじゃない!」 身体的に出る症状がある。 それに、どうも心の状態が影響しているらしい。 身体と心、日常的になんとなくふたつのものとして扱っている二者は、別物にも見えるし、…

拡大・縮小・何が起きているか?

久しぶりに、時間をまったく気にせずにプラクティスをした。 ここ最近忙しくて、プラクティスはするものの、いつも終わりの時間を気にしながらの練習になってしまっていた。 現代人である僕らの多くは、時間の中に位置づけられ、次はこれ、その次はあれ、と…

お誘い②

僕らが、(主に他人に向けて)「愛情を示す」、「肯定的な目を向ける」と言う時、 それは具体的にどんな行動を指しているだろうか? ある時は、その人がよりのびのびと生きられるよう、邪魔なものを取り除いてあげることかもしれない。 ある時は、その人が強…

お誘い①

それを無理に、手放せなくてもいい。 それを無理に、受け入れなくてもいい。 手放すために、マインドであれこれ格闘しなくていい。 ただ、その息を吐いてほしい。可能なら、その吐く息が、よりスムーズに出ていくために、あなたの身体の他の部分も協力してあ…

「何でもヨガ」論と、「ハタヨガ原理主義」

ちょっとでもヨガについて勉強してみると、その扱う範囲の広さに圧倒される。 単なる身体的なエクササイズだと思って入ると、道徳的、社会的なことまで口を出してくるヨガの広範さに、「何これ?」となる人は多いのではないか。 そして、この辺りでこのよう…

矛盾を矛盾のまま実装したひとつの実践

例えば、「傷つけてはいけない」(Ahimsa)と、 「嘘をついてはいけない」(Satya)を同時に命じられるような時。 出された料理がまずかった時、一生懸命作った人に「お味はどう?」などと聞かれたら、どうしてよいか分からなくなる。 例えば、「欲張るな、…

サッカー少年が、ゆるやかに死んでいく過程

なんだかよく分からない偶然が続いて、サッカー少年だった時代の僕のことを、振り返らざるを得なくなった。 というより、僕の過去が、勝手にストーリーとして紡がれて、今の自分を編み込んでいる素材として、ありありと感じられるようになった。 そういえば…

学び、別人になり、そして忘れよ

何か夢中になっている本があったり、刺激的な学びがあった直後のこと。 人と話す時に、ついそのことばっかり話してしまうことがある。 でも、その時、その「本や学んだことの内容を」話すことに夢中になってしまい、「その人と」話すことがおろそかになって…

No Rush!

どんなに畑仕事を頑張っても、たくさん水や栄養を与えても、それで収穫が早くなるわけではない。 生が経験することを早送りで進めることはできない。 どんなに厚い本も、1ページずつ読み進めるしかない。 本の厚さを見て、まだこれしか読んでいないのか、と…

はかない「自分」による「自分」論

前回の記事を読んでくれた人から、質問をもらった。 前回記事「因果の中に位置づけられるヨガ」 問題となった箇所はこちら。 原因と結果の連鎖を見通し、諸々の関係において浮かび上がってくる「自分」というものについて知ること(svadhyaya 自己理解)。 …