No Rush!
どんなに畑仕事を頑張っても、たくさん水や栄養を与えても、それで収穫が早くなるわけではない。
生が経験することを早送りで進めることはできない。
どんなに厚い本も、1ページずつ読み進めるしかない。
本の厚さを見て、まだこれしか読んでいないのか、と焦ることもある。
だが、その焦りは、目の前のページに向かうことを妨げるだけである。
結果が出た時は、誰かが認めてくれる。
結果が出ない時こそ、自分で自分を認めてあげるべきなのだ。
「なんにもできていないじゃん。」
そんなことを冷酷に告げてくる世間の目に、自分の目も加えなくていい。
なんにもできていないように見える一日でも、そうやって存在し続けていることに、halleluiah!
こんな時こそ、「できること」と「その結果として期待されること」をきっちり分けて考えることが大切だ。
実りに目が行くと、目の前の道を見失う。
目の前の景色を楽しみながら歩いていたら、いつの間にか豊饒な実りがあることもあるだろう。
それは、まさしく「生のギフト」であり、「僕自身の行いによるギフト」では全くないのだ。
私たちの行為は、肉体の動力源ではない。
ただ、農夫のように障害を取り除くものである。(Y.S. 4-3)
この地道さが難しいのは、「望んだ情報がすぐ手に入る」という状況に慣れ過ぎたせいかもしれない。
この道は、そんなに容易いものじゃない。
ゆっくり、行こう。