的場悠人の体和 Tai-wa 日記

理論と実践を行き来するヨガ研究者。ここではヨガ以外のことも。大学時代から継続のブログ。

バンダ、生命、おしっこの話

ヨガをしている最中、トイレに行きたくなってしまった。

が、少しキリが悪かったので、少しそのまま続けた。

その時に、漏れないように我慢してくれているカラダの不思議さを垣間見た。

 

バンダ(bandha)。

ヨガをやっている人なら、一度は聴いたことがあるフレーズかもしれない。

英語のband(例えばリストバンドとかのバンド)と同じ語源のこの言葉は、

「締め付け」や「ロック(lock)」を意味する。

つまり、カラダの内部で起こっている、姿勢を維持するための留め金のようなものだ。

 

例えば、電車の中こっくりこっくり寝ている人がいる。

それでも上半身ごとがくんと前に倒れてしまわないのは、上半身を支える腹や骨盤底のロックがあるからだし、

頭ががくんと左右や前に倒れても、結局カラダの真上に戻ってくるのは、頭を支える 首やのどのロックがあるからだ。

 

ヨガの練習においては、バンダは呼吸によって生じる。

吸う息で胸郭が膨らむと、おのずと喉の辺りに締まりが生まれる(ジャーランダラ・バンダ)。

吐く息でお腹を下から絞るように使うと、下腹の辺りに締まりが生まれる(ウディヤーナ・バンダ)。

この2つを伴ってアーサナの練習をしていると、骨盤底からの強力な支え(ムーラ・バンダ)を感じることがある。

(J.ブラウン氏は、このムーラ・バンダを「metaphysicalな_物質を超えたところの_支え」だと表現していた。)

 

このバンダ、特別な高等テクニックというよりは、もともとカラダに備わっている安定性を、意識的に為していくというイメージだろう。

もしバンダがまったくなかったとしたら、(汚い話になってしまうけれど、)垂れ流し状態になってしまう。

バンダは、流れる生命の中にあって、生命の安定性や秩序を維持する役目を担っている。

しかも、バンダ自身も動いている。ベルトのように、不動の物質として僕らに働きかけるのではなく、まさに生命の一部として、自らも流れるものとして、しかし流れを一時的にせき止めるものとして存在している。

 

と、書いてみると、こんな話を思い出した。

 

生命には、物質の下る坂をのぼろうとする努力がある。

ベルグソン『創造的進化』)

 

世界にあるすべてのものは、エントロピー増大の法則(宇宙のすべての現象は、乱雑さがふえる方向にしか進まない)に支配されている。だから、ただ物質があったら、どんどん分解され、カオスの中に消えていく。

その中で、秩序を保った生命が生き続けるという奇跡がある。

生命は、エントロピー増大の中にあって、秩序を保とうと努める。

バンダは、流れの中にあり、自らが流動的でありながも、流れをせき止めようと努める。

 

そう考えると、端的に言って生命とは、バンダであり、おしっこを我慢する力である、と言えるのではないか(さすがに極論すぎるが)。