的場悠人の体和 Tai-wa 日記

理論と実践を行き来するヨガ研究者。ここではヨガ以外のことも。大学時代から継続のブログ。

2018-01-01から1年間の記事一覧

完了する吐く息、志向する吸う息

母との会話を通して分かったこと。 「そのままでいい」は、「そのままでいろ」じゃない。 生きようとする欲動として、運動として、方向性として、「いま」が存在している。 だから、未来を志向することが、今のこれではなくあれになろうとすることが、 その…

ポーズをとるのは誰か。

そういえば、インドでこんなことを言われた気がする。 「ポーズをとっているのは、わたしではない」 この時は、えらくスピリチュアルな言葉に聞こえた。 実際、この言葉の発言者は、おそらくヒンドゥー教徒で、「わたしではなく、シヴァがわたしにポーズをと…

補助輪との友好な関係

頼りにはなっても、全面的には頼り切れないと悟った時から、自立が始まる。 まだ支えが必要な人に、「補助輪なんかに頼ってないで、早く自立しろ」と言うのは、ちょっと的外れだ。 補助輪の「補助輪性(いつかは取り外し、自らの足で歩む覚悟をしつつ付き合…

見つめるということ

いろいろな自分がいる。 中には、認めたくないようなヤツもいる。 そんなヤツは排除して、自分にとって都合のいい部分だけ育てたくなったりする。 でも、認めたくないようなまさにその部分が、実は自分の生命を成り立たせてくれていたりする。だから、しょう…

いのちという〈コト〉

私のそもそもの原点は、昆虫が大好きな昆虫少年として野原で虫を追いながら、自然の美しさや、例えば蝶の一生での、それが芋虫(幼虫)から蝶(成虫)に変わっていくメタモルフォ―シス(変態)のすばらしさなどに感動したところにあります。(・・) 生命と…

何を願うのか

自分がすこやかでいたい。 家族がすこやかでいてほしい。 できれば、みんなが、全人類が、全生命が、すこやかでいてほしい。 そこにおいて、使えるものは使えばいい。 回りくどいよりは、すみやかなやり方がいいだろう。 複雑なよりは、たやすい方がいいだろ…

『ピダハン』

久々のブックレビュー。 今回は、アマゾンに住む少数民族、「ピダハン」についての科学ノンフィクション。 言語学者でありながら伝道師のアメリカ人ダニエルが、未知の文化、言語に飛び込み、 アマゾンで暮らす彼らの生活を明らかにしていく。 このピダハン…

ヨーガ・スートラ超簡約(講座用メモ)

*テキストには書かれていないこと 「真実はテキストの中にではなく、あなたの中にある。あなたが真実である」 したがって、読まなければならないテキストはないし、理解しなければならない哲学もない。だから、もしヨーガ・スートラに書かれていることを理…

「異」との幸運な出会い

あらゆる限定を取り去って自由に振る舞ったり、 すでに与えられている生命のすばらしさを味わったり、 そんな体験をし、そのような仕方で生きていくことを導いてくれるような実践体系がある。 しかも、その実践における「技法」などの優越によって、権力構造…

注意と散漫 ヨーガ・スートラをめぐって

僕らのマインドは、集中したり、散漫だったりする(集中、としたけれど、中に集めるのではなく、対象に注意を向ける、というイメージ)。 何かに集中しているのであれば、その対象を手掛かりにして、世界との関係を取り結ぶことができる。 この状態は、他の…

バンダ、生命、おしっこの話

ヨガをしている最中、トイレに行きたくなってしまった。 が、少しキリが悪かったので、少しそのまま続けた。 その時に、漏れないように我慢してくれているカラダの不思議さを垣間見た。 バンダ(bandha)。 ヨガをやっている人なら、一度は聴いたことがある…