「毎日が新鮮!」じゃなくてもいい
変えようとしなくたって
「一度として、同じヨガはありません」
毎日ヨガのプラクティスをするように勧めるとき、よく使われる文言がこれだ。
確かにそうなんだけど、この側面ばかり強調すると、ちょっとおかしな方向に傾くことがある。
それは、「違い」を探してしまうこと。
ヨガに限らず、生きていることは、それ自体で一回性のものだ。
別に、”make difference”しなくても、常に”be different”なのだ。(なんでこんな言い方になったんだろう。)
だから、今日が昨日と違うからといって、別に特別なわけじゃない。あえて言うと、「毎日が特別!」なんだけどね。
飽き性でも続けるには。
ちょっと挑戦的に言うと、毎日のプラクティスで「違い」を求めようとするのは、傲慢かもしれない、ということだ。
「違い」を強調しすぎると、「今日はこんな気づきがあった!」、「今日は昨日とここが違う!」というようなことを、無意識のうちに求めてしまう。
人間は常に変わってもいるが、しかし恒常性の方も強力にはたらいているので、そんなに大した変化が毎日のようにあるわけじゃない。
変化を求めすぎることは、ともすると、勝手に作り出した「新しいストーリー」の中に自分をはめ込んでいくことにもなりかねない。「今日は昨日より呼吸が深い!」みたいな。
飽き性の僕は、これをやりがちなんですよね。
でも、たとえ感じられるような変化がなくて、淡々と毎日が続くとしても、地道に続けていくことの方がより重要なんじゃないか。
毎日のように、「今日はこんな発見があった!」とキラキラしていられるのも素敵なことだけどね。
なんなら、あえて全く同じようにやってみればいい。どうやっても、そうはならないから。
変化を実感できたとしても、感じられないとしても、僕らが生きている以上、そこに変化は起きている。
別に毎日新鮮な気持ちで行えないとしても、淡々と続ければいいんじゃないか。
こんなことを思い、今日もマットに立つ。