聖なる魂と、ふつうの「自分」 JIDAIさんの演技を観て
「魂の時間」
マイムアーティスト、JIDAIさんの舞台を観に行ってきた。
演技後のお話では、「オーガニックマイム」というJIDAIさん独自の世界観が語られた。
一種の瞑想状態に入っているという演技の最中、エゴの感情ではなく、「普遍的な感情」、「宇宙に遍在する感情」が役者の身体を通して表出する、とJIDAIさんは言う。
その時、観ている僕たちも、一体となってその「普遍感情」を感じ、座って観ている観客でありながら、猟師になったり、動物になったり、いろいろな物に変身したりできる不思議な時間。
JIDAIさんはこの時間を、「魂の時間」と表現した。
この時、僕らは、大袈裟に言うと、「人間であること」をやめる。
日常を生きている、様々な「物語」から解放され、宇宙に還っていくような、そんな感じがする。
ところで、この「魂の時間」と、普通に日常を生きる「私」の時間。この両者をつなげないか。
「魂の時間」には、言葉がない。したがって、物語がない。
ふだん、頭で考えた「物語」を生きている僕たちに、この空白は理解できない。
JIDAIさんのマイムは、そこにわずかながら切り口を入れる。
「理解」が追い付かない魂の時間に、マイムの「物語性」というべきものが挿入されているおかげで、僕たちは、ふと「普段の私」に戻る。宇宙と一体となった「魂」から、「人間」に戻ったり、「日本人」に戻ったり、「悩んでいる私」に戻ったりする。
このように、聖なる時間と普通の時間を行き来することで、僕たちの日常に揺さぶりをかけられるのではないか。「マイムのアイデアを日常から得られることはあるんですか」という質問に、JIDAIさんはこう答えていた。
むしろ、マイムでやったことが、日常に気づきを与えてくれたりするんです。
今回の文章、読んでも訳分からなかったら、JIDAIさんの演技を観に行ってみてください。このリンクからも、動画が見られます。