的場悠人の体和 Tai-wa 日記

理論と実践を行き来するヨガ研究者。ここではヨガ以外のことも。大学時代から継続のブログ。

いつでも動けるカラダであること

サムライは準備運動できない!

 僕の師の父である武術研究者の甲野善紀先生は、武術とスポーツの違いを説明するとき、よくこんな話を持ちだします。

 

武術では、いつ襲われるかわからないという状況下で、すぐに動けなければ意味がありません。斬りかかられたときに、「ちょっと待て、準備運動をしてからだ」と言うわけにはいきませんからね。

『身体から革命を起こす』

 

 つまり、「必要なときにいつでも動けるカラダ」があることが大事なのです。自然界に生きている動物は、準備運動することなく、天敵から襲われれば走って逃げますし、獲物を見つければ俊敏に動いて捕らえようとします。彼らの動きは、自然であり、カラダの構造に無理のない動きをしているので、急に激しく動いても肉離れをすることなどないのです。

 

 逆に言えば、急に動けないということは、自然の構造から外れた無理のある動きをしているということなのです。このことは、武術でも、ヨガでもスポーツでも同じです。

 

f:id:yutoj90esp:20161129202046p:plain

本田圭佑にとってのプロフェッショナル

 このことを思い立った高校時代、僕はサッカー部に所属していました。ならば、いつでも動けるようになってやろうと、ちょっと荒めのトレーニングをしたこともあります。例えば、朝一番に練習場に出て、ストレッチもアップもせずにいきなり坂道ダッシュやシュート練習など激しい動きを繰り返したりもしました。

 

 この練習法は、いきなりやるとケガの危険もありますし、褒められたものではありません。しかし、当時の僕には、「自分のカラダなら大丈夫」という変な自信、信頼感のようなものがありました。

 

 僕はサッカープレイヤーとしては平凡でしたから、スポーツのトレーニングについて口を出すことはできません。しかし、カラダに対する基本的な考え方として、「必要なときにいつでも動けるカラダがあるか」という視点は必要なのではないかと思います。

 

 サッカー日本代表本田圭佑選手も、あるインタビューでこんなことを言っています。

 

抜き打ちテストみたいに、いきなり「明日試合が入った、どれだけ準備できているか?」みたいなことがあっても面白いと思う。「いつでもいける」というふうにすべきだというプロフェッショナルな考えがある。

 

と語っています。

 

いつでもヨガできるカラダ

 

 「いつでも動ける」という観点は、ヨガからも見出すことができます。例えば、ハタ・ヨガの古典には、こんな文面が登場します。

 

胃の4分の1はいつでも空けておく。食べ物で半分を満たし、4分の1は水で満たし、胃の4分の1は気の回転のために守る。

『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』Ⅰ-58

 

 この文面は、単純に健康のため、消化器に負担を掛けないため、などの理由の含まれていると思いますが、実践してみると、「いつでも動けるカラダ」を保つため、という意味も含まれているような気がします。実際に、食べ過ぎてお腹をいっぱいにしてしまうと、数時間はカラダが動きませんし、ヨガを実践することもできません。

 

 かくいう僕も、食べ過ぎてぐったりとした気分になってしまうことは多々あります。こうなってしまうと、心が乱れているなと自覚しても、それをヨガのプラクティスによって解消しようと思ってもできません。食事を少量に抑えておけば、そもそも心が乱れることはあまりありませんし、乱れたとしてもヨガの呼吸法やポーズを使って整えていくことができます。

 

 現代人は昔のサムライのように、急に襲われるということはほぼありません。しかし、それでもなお、「いつでも動けるカラダがあるか」ということは大切なのではないでしょうか。