インドでの食事。沈黙と反省
ベジタリアン、低刺激の食事
インドでの1か月は、完全ベジタリアンでした。
1日3食、アーシュラム(ヨガ道場)で摂ることができます。日本にいるときの僕はベジタリアンではありませんが、そんなに肉を頻繁に食べるわけではないので、1か月のベジタリアン生活は何の問題もありませんでした。
メニューはこんな感じ。まずいっていう人もいたけど、僕は好きでした。
カレーは毎日のように出ますが、辛くはありません。日本の中辛よりも辛くないくらい。インドのカレーはものすごく辛いイメージがあると思いますが、アーシュラム(ヨガ道場)での食事に辛い料理がでることはありません。ヨガをする人に、スパイスの過剰な刺激はよくないからだそうです。
Just ask yourself
本場インドのヨギはどんな食事をしているのか気になったので、瞑想の授業を担当していた先生に聞いてみました。
そうしたら、
その質問に、私は答えられない。何をどれだけ食べるべきか、ただ自分に問いかけなさい。
との答えでした。
先生がどんな食事をしているかくらい教えてくれてもいいじゃない、と思ったのですが、この先生はこう続けました。
好奇心は悪ではないが、好奇心だけで得た知識、所有するだけの知識というのは、役に立つどころか邪魔になることも多い。私がどれだけ食べているかをあなたに教えても、あなたの人生には何の役にも立たない。それどころか、どれだけ食事を摂りたいのかを「本当の自分」に問いかける際に、妨げになるだけだ。
普段僕たちは、知識が増えることはよいことだと思っています。しかし実際は、外的な知識が増えるほど、自分の内なる声を聞くのは難しくなるのです。
そのことを端的に示した言葉が、アーシュラムの食堂に貼ってありました。
沈黙を守ること
言葉は心を駆り立てるが、沈黙の中では私たちは神の存在を聴く
アーシュラムでの食事の最中は、沈黙を守ることがルールでした。沈黙すると、嫌でも自分と向き合わざるを得なくなります。沈黙を保ち、自分の内なる声を聞こうと努めていると、それが「神の声」を聴くことになるのだと言います。
とはいえ、食事の際の沈黙は、厳密に守られていたわけではありませんでした。別に監督がいるわけではないので、話していても注意する人はいません。話している人を注意することも、沈黙を破ることになってしまいますからね。
僕も、自分から喋ることはありませんでしたが、話しかけられたときは応えてしまっていました。しかし、改めてこの沈黙の意義を考えると、厳密に守るべきだったな、と少し後悔しています。
沈黙は偉大な力の源である。