僕らのからだから生まれる道徳について
ものすごく「不道徳」だと言われるような立場も想定して、道徳を考える必要がある。
例えば、「人間の死を悲しく思わない」という人がいたっていい。
人間が、人間や動物の死(特に目の前で起こる)に対して「悲しい」という感情を持つのは、
たんに人間的な身体が、それを「悲しい」と知覚するからに他ならないのではないか。
細胞ひとつひとつの死を悲しみ、逆にそれらの生成を歓ぶような存在がいてもおかしくない。
それは、道徳的に優劣があるわけではなく、視点が違うだけだ。
あくまで人間は、「人間的身体」の制約のもと、「道徳的だ」とかそうじゃないとか言っている。
ただし、以上のような想定が可能だとしても、僕ら人間はそうたやすく「人間的身体」を離れることはできない。
こうしている今も、僕は「人間する」することを仕向けられ、そうするしかない存在なのだ。
目の前で人間や動物が死ぬのを、僕は見たくないし、それを「イヤ」だと思うようにできているカラダからも、脱却できる気はしない。
かたち、語られることば
これこそは!
と決定できるようなことばもないし、かたちもない。
足場を固定できるような理想型なんてどこにもない。
僕らが捜しているのは、理想的な着地点ではなく、飛び続ける技法であり、飛んでいるその最中にみる景色である。
だから、飛び続ける必要がある。
説明すること、分析することよりも、紡ぐこと、語りが生まれてくることが大切。
どこかでかたちを確立することよりも、その時々であるかたちをとり、あるかたちに「なっていく」ことが大切。
たぶん、それが、ふとしたときに「うつくしく」感じられるのだろう。
ヒッチハイクつくば~広島 体験記② 「BE HAPPY」 の真意
ヒッチハイク体験の第二弾。
第一弾はこちら「待つことについて」 。
ヒッチハイクは、成功より失敗の方が圧倒的に多い作業だ。
野球のイチロー選手が大記録を出したときに、「打った本数よりも、むしろその陰にあるより多くの失敗の方に価値があるように思います」とのことを言っていた。
そんな偉大さとは無縁だが、失敗の割合で言ったらヒッチハイカーも負けていない。
打率3割なんて夢のまた夢で、よくて0割1分くらいだ。
わずかな成功の裏には、莫大な失敗がある。
この失敗の時間をどう過ごすか。それが僕にとって問題だった。
今回の旅で、僕がとっていた処世術がある。
それは、通り過ぎる車にいる人たちの、「幸せを願う」ということだ。
実際に僕は、目的地を書くスケッチブックの裏に、その時思いついた言葉を書いた。
その一例が、これだ。
乗せてくれる見込みがないと分かった車に向けて、この裏面を見せることにした。
一瞬不思議そうな顔をした後、笑顔を返してくれる人も多くいた。
こうすることによって、圧倒的に長い失敗の時間が、失敗ではなくなる。
人々の幸せを願うという時間は、僕にとっても幸せなものだからだ。
僕の立っている道を、なんらかの縁によって通り過ぎた人たちに向けて。
この作戦は、ヒッチハイク前夜に思いついたことだ。
初めてのヒッチハイク。楽しみより不安の方が大きかった。
そんなときふと、
乗せてくれなくても、この道を通ったあなたが幸せでありますように。
という言葉を思いついた。
全国各地に向けて、人々の幸せを祈りに行けるのなら、こんなに幸せなことはないじゃないか、と。
このおかげで、立っている時間が苦ではなかった。むしろ、そこに立っている時間が長いほど、その地に向かって多く祈ることができる(と、強がってみたが、3時間も立っているとやはりつらい)。
結局、最長は僕が住んでいるつくば市だったのだけれど。
まあ、もしかしたら一部の人は快く思わなかったかもしれない。
そりゃそうだ。わけもわからず突っ立ってるヤツに勝手に幸せを祈られてもね。
でも、それが僕のできる、最大限のことだった。今回の旅は、受けた恩が圧倒的に多いのだけれど、僕が何かできるとしたら、祈ることだった。
そのおかげかは分からないけど、今回の旅では多くの幸運に恵まれた。
四日連続の野宿も覚悟していたのに、一日で済んだ。
浄土真宗のお寺さんに拾っていただき、二日も宿を提供していただいた(しかも、仏さまの前の寝床を!)。「これも菩薩行だ」と何とも太っ腹なお兄さんだった。
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またある時、サービスエリアのベンチで寝ていたら、そこで働いているおばさんが、「うち近いから泊めてやるよ」と声をかけてくれた(彼女はサービスエリアのレジ打ちでありながら、日本で一、二を争うプロボウラーでもあった!)。
他にもたくさん。
僕が今回受けた恩を、いろんな所で循環させられたらいいなぁと思う。
帰ってきて、こんな曲を聴いた。
例によって、BUMP OF CHIKCENより。
ねえ 優しさってなんだと思う さっきより解ってきたよ
きっとさ 君の知らないうちに 君から貰ったよ 覚えはないでしょう
「ひとりごと」
ここまで読んでくれたあなたも、幸せでありますように。
ヒッチハイクつくば~広島 体験記① 待つことについて
人生初のヒッチハイク。茨城県つくば市から広島まで、計4日かけて往復した旅のレポートを書きます。
ヒッチハイクのノウハウ的なことはたぶん他の人がいっぱい書いているので、僕はヒッチハイクの時の心情をメインに書いていきます。
待つということ
鷲田清一さんの『待つということ』を愛読している友人から、こんなことを言われたことがある。
何が来るのか分かっていたり、あと何分で来るかが分かっていたりする状況で待つのは、本当の待つとは言えない。
「待つ」とは、来るか来ないかも分からない何かの到来を、もしかしたら永遠に来ないかもしれない何かを、待つともいわずにただ待ち続けることである。
一言一句は合っていない気がするけれど、大方こんなこと。
確かに僕らは、彼が後半部で言っているような待ち方をほとんどしなくなっている。
ちょっと待ち合わせに遅れることが分かれば、すぐに連絡をとって、あと何分だとか、それまで何しよう、とか考えることができてしまう時代だからだ。
ヒッチハイクは、そんな時代の中で、「ただ待つ」ということができる貴重な機会だった。
なにせ、いつ、誰が車を止めてくれるか分からないし、もしかしたらずっと誰も止まってくれないかもしれないのだ。
ヒッチハイク開始から1台目に乗せていただいたあと、つくばの高速IC前で、3時間ずっと立っていた。
序盤からつまずき、心が折れかけた。
実際のところ、高速に乗るまでが一番難しいのだ。
近くにはバス停があったので、それに乗って東京まで行けたらどんなに楽か、、、という誘惑もあった。
諦めかけて、バス停に行こうかな、と思った頃、救いの車が現れました。
「さっきも通りかかって、「なんかやってるなー」と思ったから、もう一回通ってまだいたら乗せてあげようと思ってたの。」というお兄さん。
そんなこともあり、無事高速にのることができました。
往復でお世話になった車の数は、実に19台。
ヒッチハイカーの直観(?)
後半になってくると、変な直観もはたらくようになってきました。
例えば最終日の朝、スタートは、愛知の一宮サービスエリア。
そこから次の東郷という小さなパーキングエリアで降ろされてしまったときのこと。
小さいパーキングエリアは、当然車の数も少ない。
しかも、そこから僕の行きたい静岡方面に向かい、かつヒッチハイカーを乗せてくれるだけのスペースと時間と心のやさしさを備えた人が通りかかってくれる格率は、どう考えてもかなり低い。
これは、キツイ回になるなー、と覚悟しながら、朝7時くらいから立ち始めました。
案の定、1時間半経っても、全然止まってもらえない。
そんな時、ふと湧いてきた想い(?)
「絶対、9時までには誰かが乗せてくれる!」
何の根拠もないのに、なぜか、絶対に動かしがたい確信として、そう思ったのでした。
そして、8時50分ごろ。黄色の車に乗ったお兄さんが、僕の前で、何回か迷った素振りを見せながら、ブレーキを踏んでくれたのでした。
しかも、静岡県を飛び越え、神奈川県の足柄まで運んでいただきました。
まあ、こんな直観なんてめったにはたらくものじゃないし、はたらいたとしてもあんまり信用するもんじゃない。
自分にこんな種類の直観がはたらくことを予期する、期待してしまう心もまた、不純な「待つ」になるのです。
というわけで、今回の経験、自分にそういう種類の直観がはたらきうることの経験は、貴重なものだったけれど、一回限りのことと思ったほうがよい。
貴重な経験はそれとして、今度何に臨むにしても、またそのときの自分に頼るしかないのです。
(またヒッチハイクにチャレンジするかは分からないけれど!)
こんな僕を拾ってくれた人たちに感謝を込めて。
選択するカラダ、捨てるカラダ
生きることは、選択の連続だ。
生き始めた時点で、毎瞬間、何かを選び取り、何かを捨て、そうやって生きてきた結果の総体が、今の僕だ。
僕らは、いかなる手段をとっても、「無選択」ではいられないし、中立でもいられない。
ここでいう「選択」とは、職業などの社会的なものや、「こんな性格に見られたい」というような観念的な選択ばかりでない。
人間が進化の過程で二本足で立つようになったのも選択だし、日本で育つ僕らがRとLの区別を失っていくのも選択だ。僕らはそれらの選択なしでは文字通り「生きてゆけない」のである。
だから、何かを語ることはもちろん、何らかの形をとること、そこに存在しているということすら、ひとつの選択であり、排除であり、方向性である。
どんな存在も、「ありのまま」の世界など見ていない。
僕らがこの世界に宿るとは、世界を自分の都合に合わせて分節し、自分の身体に根付いた制限の中で何かを為していくことと言えるだろう。
ここにおいて、提起されるべき問いがある。
僕は、何をすでにしてしまっているだろうか?
すでに歩み始めてしまっている生があり、その中で生きすぎてしまっている「自分」がある。
とってもリアルに。それなしでは生きていけないほどに。
僕が何かをするとき、それに先立って圧倒的に「人間して」しまっているし、「マトバユウトして」しまっている。その選択の総体が、僕のカラダとして現れている。
そんなカラダで、ちょっと動いてみる。
どこかに力を込めたりすることすら、ひとつの選択であり、方向性であり、排除でもある。
どこかの部位を過剰にはたらかせたりすると、他の部位が叫んでくる。
「そっちばっかりずるい!」「こっちも見て!」
彼らと会話しながら、動かしたり、呼吸を通してやったりする。
一通り済むと、スッキリして、心が落ち着く。世界が平坦に見える。
しかし、この状態でもなお、僕にはまだ見つめられていない部分がたくさんある。
ましてや、日常に戻って「マトバユウト」を生きたり、「大学生」を生きたり、「男」を生きたり、「人間」を生きたりすると、またたっぷりと変な癖をつけてくる。
結局のところ僕らは、僕らが切り取った世界しか見ることはできない。
そんな僕らは、異なるものと常に対峙する。
異なる文化圏、異なる年齢層、異なる性別、異なる種・・・
彼らは、僕とは違う仕方で世界を切り取り、その世界像に基づいて生きている。
だから、分かり合えないことも多々ある。
さっき立てた問いを塗り替えよう。
僕は、何を捨ててきてしまったか?
出会う人、生き物、ものたち。
さまざまなシグナルを発する、僕のカラダ。
それらの声を聴くことで、ちょっとずつ見えてくる。
自分が下してきた選択を顧み、そこに自覚的になると、僕が今まで捨ててきたものにも気づく。自覚的になって初めて、可能性の海で泳ぐことができる。相容れなかった他者と交わる可能性が出てくる。
依然、僕のやり方で切り取った世界しか見えないのだが、完全には分かり合えないという仕方で共存するという素晴らしさがここにはある。
置かれた自分、媒体としての自分
「あなたはありのままでいいんだよ」などと言われた時、抱きがちな疑問。
「じゃあ、なんにもしなくていいの?」と。
いやいや。
それは「自分」というものをとらえ違えている。
真空のような場所に、交流も変動もまったくしない、なんにもしないものを「ありのままの自己」として想定していないか?
そうではなく、僕らは世界の中にまず投げ出され、訳も分からず何かをし始め、生き始めてしまっているのである。
まずカラダがあって、それが変動したり世界と交流したりするのではなく、
変動や交流が起こる「場」こそがカラダなのである!
世界あっての自分であり、世界との交流あっての自分であり、変動あっての自分なのである。
だから、「何もしない」「どこにも置かれていない」ような「ありのままの自己」などというのは、単なる想像の産物であり、この世界のどこにも存在しない。
いくら「内なる平和」を目指そうと、外界との交流を絶つことなどできない。
(たとえ出家し、世間とかかわりを絶ったとしても!)
実際、カラダを緻密に見ていけば分かる。完璧な実体としてのカラダがあって、それが世界と交流しているのではない。
食べる物、飲むもの、吸う空気、腸内細菌などとの交流が常に起きており、それらなしでは一瞬たりとも存在できないのである!
人間の細胞の数より、人間の中にいる細菌の数の方が多いらしい。
ということは、「人間の中に細菌たちが住んでいる」のではなく、「細菌たちの上に人間が住み着いている」のである!
(では、「私が考える」というとき、一体「何」が考えているのか?)
今日、ヨガのクラスでマントラ(お経のようなもの)を唱えていたときのこと。
最初の方は、「いかに自分のカラダをうまく使い、声をうまく出すか」ということに苦心していた。
だが、続けていくにつれ、だんだんと「自分が唱えている」という意識が薄らいできた。
世界が何かを表現したがっていて、その媒体としてたまたま僕のカラダが選ばれている、というような感覚だ。
そこにもはや、技法は必要ない。その時僕がやっていたのは、ただ世界に流れているエネルギーを、邪魔しないようにすることだけだ。
それでも、否応なく、僕のカラダを通して「個性」が顕在化する。
いわゆる「自我」がなくなっても、個性が消えてしまうわけではない(ちょっと安心)。
「媒体」に徹することができたとき、何とも言えず心地よかった。
とはいえ、この心地よさを維持しようとするのは、野暮なことだ。
この心地よさを再生可能なものにしようと躍起になるのも、野暮なことだ。
それと同様に、何かうまくいかないことがあったとき、世界が表現したがっていることの媒体でしかない僕らが、何とかしようとあくせくするのも、同じくらい野暮なことなんだろう。
ただ、世界の中に置かれて、自分に起きる交流や変動を楽しめばいい。
では、結局なんにもすることはできないのではないか?
いや、安心しろ、否応なく、何かしてしまっているのだから。
ん?じゃあ「こちらから」何かをする必要はないのかな。
あれれ、わりと考えが深まったと思ったのに、冒頭の問いに戻って来てしまった・・・
変動、交流、非・技法的カラダ
身体「技法」、身体「操法」、身体「術」・・・
これらの言葉からイメージされるのは、「いかにカラダを動かすか」に関する探究だということだ。
確かに、この視点からもたくさんのことを語ることができる。
ただし、これらの言葉が暗黙のうちに前提していることがある。
それは、「カラダがある」ということだ。
どういうこと?
もう少し言うと、「ここからここまでがカラダ」と言えるカラダがあり、効果的な運用法を「探究できる対象」としてのカラダがあり、技法を試し得る「媒体」としてのカラダがあるということだ。
ところが、この前提に立っているかぎり、見えてこない世界があるのではないか。
今日、僕が思い立って試したことは、いわば技法を失う技法であり、「カラダが適応するに任せる」ということだ。(僕にこの発想を与えてくれたのは、「アフォーダンス」という理論だ)
何かの技法を行使する媒体としての「カラダ」が存在すると見なすことをやめ、ただ、置かれた環境の中に佇んでみた。
言い換えれば、「環境」と「カラダ」の境目で起こる事を、成りゆくままに放っておいた。
例えば、慣れない場所に飛び込み、緊張しているという状況。
こんな時「技法」的発想を持っていると、「ドキドキしているから、深呼吸して落ち着こう」などの手法を取りがちだ。(僕もそうだ)
言い換えれば、カラダと環境との間に境目を設け、主体としてのカラダにおいて「何をすべきか」考え始めてしまう。
しかし、僕らが何かをしようとしまいと、その場に置かれたその瞬間から、僕らのカラダは適応を始める。
梅干しを口に入れれば唾液が湧きだしてくるように、おのずとカラダは対応を始める。
まさに無常であり、一瞬たりとも同じ瞬間がない。
この変化を観察すればするほど、どこまでが自分のカラダか分からなくなる。
吸う空気、触るもの、口に入れるもの。
これらは僕らのカラダの内部に入り込んできて、カラダを変化させる。
というより、一体となってともに変化していく。もはやここに、主体も客体もない。
しかし、技法的にカラダを操作しようとすると、「固定化された状態」を想定しなければならなくなる。
「いまドキドキしているから○○しよう」と考えるまさにその時、「ドキドキしている自分」を固定化し、その上で方法論を組み立てようとしている。しかも、カラダを独立して扱おうとするので、カラダと環境の交流が絶たれる。
変動するカラダ、交流するカラダにとって、この働きかけは不自然だ。
「ドキドキしているから・・」と必死に考えれば考えるほど、ますます「ドキドキしたカラダ」が固定化し、しかも環境が介入し得ないものとして個別化していく。
カラダは、環境と相即なものであり、固定化も個別化もし得ないはずなのに。
カラダも環境も、ただ変化していくものであり、それらを無理に維持したり、いじったりするものではないのかもしれない。
そう思うと、これまで「わたし」だと思っていたカラダが急に遠くのものに見えた。
いや、むしろカラダも環境も、みんなが一体となって変動、交流する「わたしたち」と言ってもいいかもしれない。
そんなにぎやかさで生きるのは、たぶん結構楽しい。