ヒッチハイクつくば~広島 体験記① 待つことについて
人生初のヒッチハイク。茨城県つくば市から広島まで、計4日かけて往復した旅のレポートを書きます。
ヒッチハイクのノウハウ的なことはたぶん他の人がいっぱい書いているので、僕はヒッチハイクの時の心情をメインに書いていきます。
待つということ
鷲田清一さんの『待つということ』を愛読している友人から、こんなことを言われたことがある。
何が来るのか分かっていたり、あと何分で来るかが分かっていたりする状況で待つのは、本当の待つとは言えない。
「待つ」とは、来るか来ないかも分からない何かの到来を、もしかしたら永遠に来ないかもしれない何かを、待つともいわずにただ待ち続けることである。
一言一句は合っていない気がするけれど、大方こんなこと。
確かに僕らは、彼が後半部で言っているような待ち方をほとんどしなくなっている。
ちょっと待ち合わせに遅れることが分かれば、すぐに連絡をとって、あと何分だとか、それまで何しよう、とか考えることができてしまう時代だからだ。
ヒッチハイクは、そんな時代の中で、「ただ待つ」ということができる貴重な機会だった。
なにせ、いつ、誰が車を止めてくれるか分からないし、もしかしたらずっと誰も止まってくれないかもしれないのだ。
ヒッチハイク開始から1台目に乗せていただいたあと、つくばの高速IC前で、3時間ずっと立っていた。
序盤からつまずき、心が折れかけた。
実際のところ、高速に乗るまでが一番難しいのだ。
近くにはバス停があったので、それに乗って東京まで行けたらどんなに楽か、、、という誘惑もあった。
諦めかけて、バス停に行こうかな、と思った頃、救いの車が現れました。
「さっきも通りかかって、「なんかやってるなー」と思ったから、もう一回通ってまだいたら乗せてあげようと思ってたの。」というお兄さん。
そんなこともあり、無事高速にのることができました。
往復でお世話になった車の数は、実に19台。
ヒッチハイカーの直観(?)
後半になってくると、変な直観もはたらくようになってきました。
例えば最終日の朝、スタートは、愛知の一宮サービスエリア。
そこから次の東郷という小さなパーキングエリアで降ろされてしまったときのこと。
小さいパーキングエリアは、当然車の数も少ない。
しかも、そこから僕の行きたい静岡方面に向かい、かつヒッチハイカーを乗せてくれるだけのスペースと時間と心のやさしさを備えた人が通りかかってくれる格率は、どう考えてもかなり低い。
これは、キツイ回になるなー、と覚悟しながら、朝7時くらいから立ち始めました。
案の定、1時間半経っても、全然止まってもらえない。
そんな時、ふと湧いてきた想い(?)
「絶対、9時までには誰かが乗せてくれる!」
何の根拠もないのに、なぜか、絶対に動かしがたい確信として、そう思ったのでした。
そして、8時50分ごろ。黄色の車に乗ったお兄さんが、僕の前で、何回か迷った素振りを見せながら、ブレーキを踏んでくれたのでした。
しかも、静岡県を飛び越え、神奈川県の足柄まで運んでいただきました。
まあ、こんな直観なんてめったにはたらくものじゃないし、はたらいたとしてもあんまり信用するもんじゃない。
自分にこんな種類の直観がはたらくことを予期する、期待してしまう心もまた、不純な「待つ」になるのです。
というわけで、今回の経験、自分にそういう種類の直観がはたらきうることの経験は、貴重なものだったけれど、一回限りのことと思ったほうがよい。
貴重な経験はそれとして、今度何に臨むにしても、またそのときの自分に頼るしかないのです。
(またヒッチハイクにチャレンジするかは分からないけれど!)
こんな僕を拾ってくれた人たちに感謝を込めて。