サッカー少年が、ゆるやかに死んでいく過程
なんだかよく分からない偶然が続いて、サッカー少年だった時代の僕のことを、振り返らざるを得なくなった。
というより、僕の過去が、勝手にストーリーとして紡がれて、今の自分を編み込んでいる素材として、ありありと感じられるようになった。
そういえば僕は、ずいぶん熱心なサッカー少年だった。
そいつが、ゆるやかに死に始めたのは、いつからだっただろうか。
高校入学直前、スペインでプレーする機会をもらい、同世代の世界レベルを体感した。
全く追いつけないほどではない。高校での頑張り次第では・・
そんな気持ちで高校サッカーをスタートさせた。
それから、、
現実は、分かりにくく、徐々に、しかし確実に、突きつけられてきた。
高2、高3と上がるにつれて、県内のトップとも言えない高校でレギュラーにすらなれないという現実が、どんどん重くなってくる。
いつまでも、「サッカーで世界に行きたい」などとは言っていられなくなる。
進路も考えなければ、勉強もしなければ・・・
僕は、サッカーにおいて、ちょっと特殊な努力をしていた。
きっかけは、中3の冬、甲野陽紀先生(身体技法研究者)との出会い。
周囲との体格差などで苦しんでいた僕は、筋トレなど西洋科学的なトレーニングを断念し、東洋の智慧が育んできた身心技術に目をつけた。
触れたと思えば人を軽々と投げる武術家、1日200キロ走る飛脚、米俵を楽々と担ぐ農家のおばあさん。
現代スポーツの常識を超えた、身体が持つ桁違いのポテンシャルを、目の前で見せてくれたのが甲野陽紀先生だった。
月1回、教室に通いつつ、学んだものをサッカーのグラウンドで活かそうと躍起になった。
その過程で、ずいぶんと変な工夫をしながら。
例えば、
準備運動をやめた。いつ襲われても動ける、武術家のような身体を目指して。
筋トレをやめた。局所的に身体を鍛えるという発想を、捨てたかったから。
スパイクではなく、トレーニングシューズを履いて練習した。
地面を噛むようなスパイクより、足底が平らなトレーニングシューズの方が、なめらかに動ける気がしたから。
飛脚のように、荷物を持ったまま走って、家まで帰った。
ケガで練習できない時は、一本歯の下駄を買って、それを履いて歩き回ったりした。
走り方、身体のぶつけ方、手の形、視野の置き方、
いろんなことを見直してみた。
そのせいで、けっこう変なヤツだと思われていたはずだし、
僕自身も、通常のスポーツトレーニングで指導されることとのギャップに戸惑い、混乱することも多々あった。
試合の後監督に提出する「サッカーノート」の中に、戦術的なことに加えて武術的な観点でいろいろ書いてみたら、「自分の考えを持つのは大事だが、チームスポーツなんだから、周りとつながることが大事」というコメントが返ってきた。
それもこれも、僕がサッカープレイヤーとして結果を出せれば、違うものになっていたはずだ。
しかし、3年間は短すぎた。或いは、僕の力が圧倒的に及ばなかった。
そして、終わりが近づくにつれ、単に「高校サッカー引退」という以上の意味が、僕に突き付けられてきた。
それは、5歳からずっと育んできた、サッカー少年としての僕の死だ。
高3の中頃になると、自分の立ち位置がぼんやりと分かるようになる。
「どうやら無理らしい」という声を、かき消すように練習する。
が、だんだんとその声が大きくなる・・・
その頃の僕のパフォーマンスは、ひどいものだった。
なぜか試合になるとすぐに息切れしたし、ボールが足に付かなかった。
チームメイトとも、よく言い合いになった。
今思うと、神経症的ですらあったと思う。
公式戦に出る、全国大会を目指す、とか以前の問題だった。
本来、「もっと練習する」ということ以外で解決すべきものだったのだろうが、当時の僕は、ひたすら練習することによってしか、自分を保てなかったのだと思う。
ベンチで水やらタオルやらのサポートをしながら迎えた、高校サッカー引退の日は、周りのみんなにつられて涙も出たけれど、感情は無だった。
僕の中では、もうとっくに「終わっていた」から。
そして、グラウンドに行かない毎日が始まり、
すぐに大学受験があり、無事に筑波大進学が決まった。
もう、サッカーをやる気にはなれなかった。
サッカーの過程で出会った身体の可能性への探究は、禅、さまざまな武術、ボディーワーク、そしてヨガへと僕を導き、未だに同じくらいの熱さで燃えている。
しかし、サッカーで世界を目指したあの少年の熱は、いつ終わりと告げられることもなく、じんわりと消された。
そして、今でもたまに、とってもリアルな夢を見る。
試合に出られるのかどうか分からず、ピッチ脇でウォーミングアップする、微妙な緊張感。
疲れた身体を引きずりつつも、早朝に起き出して走り出す、あの日常。
飛び交う声、襲い掛かってくる人たちの中で、足元のボールに触れ、ゴールを目指す‥‥
あんまり、大きな問題だと思っていなかった。
「弔い」。
納得して終わらせてあげらなかったからこそ、成仏できない魂のように、僕の中に息づき続ける、サッカー少年の熱。
今でもたまに、ボールを蹴る。
サッカーをテレビで観る。
この楽しみは続けたいから、完全に死なせなくない。
それでも、納得できないままゆるやかに死を迎えてしまったこいつを、
ちゃんと「弔い」してやりたいと思う。
こいつの熱も、満たされないところで空回りを続けるのではなく、
今の僕の生に、参加してきてくれるように。
よく頑張りました。
これからも一緒に生きていこう。
高校サッカー最後に出た試合にて。
学び、別人になり、そして忘れよ
何か夢中になっている本があったり、刺激的な学びがあった直後のこと。
人と話す時に、ついそのことばっかり話してしまうことがある。
でも、その時、その「本や学んだことの内容を」話すことに夢中になってしまい、「その人と」話すことがおろそかになってしまうことが多い。
自己満足的に語った後、「うーーーん‥‥」という顔をしている相手を見ると、なんだかこちらも気分がよくない。
そこで、初めて気づく。「ここにいる」ということを忘れてしまっていた、と。
特定の過去、特に直近に経験したことに、特別大きな影響を受けている状態は、どうも自由ではない。
辛いものを食べた後に甘いものを食べたくなる、という時は、「辛いものを食べた」という特定の過去に強く依拠した動機であり、決して「自由に」振る舞い、甘いものを欲したというわけではない。
特定の過去が、「面白い本を読んだ」といった一見好ましいことであっても、取り立ててひとつの過去に強く影響を受けている状態は、やはり自由とは言えない。
勉強熱心であるほど、この傾向にはまってしまうことがあると思う。
では、どうすればよいのか。
最近、(こういう話の入り方をすると、いかにも最近の出来事に縛られているようだが、この場合は文脈に応じて適切な例を引き出しているだけなので、大目に見ていただきたい)「シュタイナー教育」についてのビデオを観た。
https://www.youtube.com/watch?v=0KCcV16uE6o&t=4s
彼らの授業の様子は、とても興味深いものだった。
例えば5桁くらいの大きな数を「4で割る」という計算をする時、いきなり計算に取り掛かることはしない。まずは4の段の九九を、身体全体でリズムを取りながら暗唱して復習する。それから、割られる数をじっくり見、おおよその予想を立てる(例えば一の位が「1」だったら、4で割ると必ず「余り」が出る、など)。それから、途中の計算過程もすべて声に出しながら、計算していく。
そこには、計算を機械的にできるだけ速く行おうとする姿はなく、むしろ身体全体で数にどっぷりと浸ろうとする試みに見えた。
さて、これだけ数という抽象概念に没入すると、日常生活や身体を使った作業に戻った後も、グルグルと頭の中で考えをめぐらす、ということになりかねない。
数の研究に没頭し続ける道を選ぶならこれでもよいのだが、しかし、僕らには身体があり、生活があり、生きている環境との関わりがある。そんな時、頭がさっき学んだことで一杯では、状況に対して遅れをとるし、そこで起きている美や素晴らしい体験を逃してしまうことにもなりかねない。
そこで、こんな工夫が施されていた。
授業の終わりに生徒たちは、こんな詩を暗唱する。
初めの行いは終わりました
学んだものを休めましょう
私の中で芽を出して
知恵と愛と力になるように
私が地球と人間に
福をもたらしうるように
こんな風にして、授業の最後には、学んだことを「休める」もしくは「忘れる」という過程が大事にされている。
「忘れる」というと、学ぶ以前の状態に「元通り」になってしまうように聞こえるが、そうではない。
数なら数に「身体全体でどっぷり浸かる」という体験をした後の生徒たちは、紛れもなく学びの前とは「別人」になっている。これは、自転車に乗れるようになった人が、乗れる以前の状態に戻れないのと同様に、不可逆的な変化である。
こうして別人になった後、学んだことを、そして学んでいたということすら、すっかり忘れてしまう。
これは、先ほどの僕の言い方で言えば、「特定の過去に取り立てて色濃く影響を受ける不自由な状態」から解放されるということだ。
こうして生徒たちは、ついさっき学んだことから自由になり、しかしその学びをしっかりと蓄えて、今この瞬間の生を生きることができる。
学んだことが有意義であるほど、それを大事に抱えて、それに頼りながら生きていきたくなる。しかし、抱えるものが多くなるとは、自由を失うことでもある。
学び、別人となり、その新しい生をひとつの完全な生として、特定の何かに頼らなくても自由に振る舞える生として、生きてゆきたいものだ。
今僕らが目の前にしている現実も、さっき学んだことと同等に、実り豊かなものなはずだから。
No Rush!
どんなに畑仕事を頑張っても、たくさん水や栄養を与えても、それで収穫が早くなるわけではない。
生が経験することを早送りで進めることはできない。
どんなに厚い本も、1ページずつ読み進めるしかない。
本の厚さを見て、まだこれしか読んでいないのか、と焦ることもある。
だが、その焦りは、目の前のページに向かうことを妨げるだけである。
結果が出た時は、誰かが認めてくれる。
結果が出ない時こそ、自分で自分を認めてあげるべきなのだ。
「なんにもできていないじゃん。」
そんなことを冷酷に告げてくる世間の目に、自分の目も加えなくていい。
なんにもできていないように見える一日でも、そうやって存在し続けていることに、halleluiah!
こんな時こそ、「できること」と「その結果として期待されること」をきっちり分けて考えることが大切だ。
実りに目が行くと、目の前の道を見失う。
目の前の景色を楽しみながら歩いていたら、いつの間にか豊饒な実りがあることもあるだろう。
それは、まさしく「生のギフト」であり、「僕自身の行いによるギフト」では全くないのだ。
私たちの行為は、肉体の動力源ではない。
ただ、農夫のように障害を取り除くものである。(Y.S. 4-3)
この地道さが難しいのは、「望んだ情報がすぐ手に入る」という状況に慣れ過ぎたせいかもしれない。
この道は、そんなに容易いものじゃない。
ゆっくり、行こう。
はかない「自分」による「自分」論
前回の記事を読んでくれた人から、質問をもらった。
前回記事「因果の中に位置づけられるヨガ」
問題となった箇所はこちら。
原因と結果の連鎖を見通し、諸々の関係において浮かび上がってくる「自分」というものについて知ること(svadhyaya 自己理解)。
そして、それらの連鎖が、個に帰するものでないことを見極め、その流れに身を委ねてゆくこと(isvarapranidana 自在神祈念)
たしかに、分かりにくい(自分で書いたくせに)。
「自分」、「個」といった言葉で指し示していることの内容が、伝わりにくい。
「自分」というものを、いかにとらえるべきか。
ニュートン的、デカルト的な近代科学・哲学の影響を色濃く受け、そこから完全に抜け出しきってはいない僕らの世界観では、いまだに「自分」が、「一貫したアイデンティティを持った、矛盾のない、安定的な個体」としてとらえられていることが多い。
まるでビリヤードの球のように、ある固定的な性質を持った、境界がはっきりとした、ある刺激に対して一定の反応を返すような、そんな主体として。
しかし、その存在を見つめるほど、そのような固定性はあやしくなってくる。
そういえば、冒頭の質問をしてくれた人(当時は生物学を専攻する大学院生だった)に、僕はこんな質問をしたことがある(された当人は覚えているかどうかわからないが)。
ひとつの細胞が死ぬのと、ひとつの生命体が死ぬのって、どう違うの?
多細胞生物である僕らは、いくつもの細胞が寄り集まってひとつの凝集体をなしている。しかし、その中身自体は常に入れ替わったり、新しく生まれたり死滅したりしている。
厳密に見ていくと、どこからが自分でどこまでが自分かなんて全く分からなくなる。
さっき食べた、まだ胃の中でうごめいているような食べ物は?
ここの空気は?
僕に強く影響を与えた、あの人のアイデアは?
やたらと不機嫌そうな、向かいの人の不快な「気分」は?
私たちが皮膚の境界をもってひとつの個体としてみなしがちなのは、皮膚の内側の細胞同士の相互作用の密度が、別の個体の細胞との相互作用に比べて大きいからである。ひとつの脳をもってひとつの心とみなしがちなのは、ひとつの脳の内側同士の相互作用の密度が大きいからである。(鈴木健『なめらかな社会とその敵』)
以上の記述が示しているように、僕らが「自分」とそうでないものの間に引いている境界は、ひとつの便利な説明原理にすぎない(その仮定的な境界をもとに、「責任」とか「人権」みたいなものが付与されるから、この境界への信仰はさらに強まる)。
しかし、「私」と呼んでいるものの中味は、ビリヤードの球のように固定的ではなく、覗けばその都度違うものが詰まっている、はかないものである。
「私」とその他を分別するその境界も、定かではない。
これをおそらく「無常」とか「無我」と呼ぶのだが、僕は「無」我とまで言う気にはなかなかなれない。
あらゆるものが網状に絡み合う諸々の関係性の中で、その都度「私」と呼ぶべき勢力範囲(閥)を持った主体が、存立してきているようにみえるからだ。
時にはものすごく孤独で、寂しい存在として。時には何か(誰か)と一体化したような気になり、「私たち」と呼べるほどのより大きな凝集体として。
(『クォンタム・セルフ』(ダナー・ゾーハー)という本は、この一瞬ごとに現れるひとつの秩序形態を「ボース=アインシュタイン凝集体」という言葉で示している。)
僕がsvadhyaya(自己理解)という言葉の文脈で「自分」という言葉を使った時、念頭に置いているのはこのような主体である。
つまり、一瞬一瞬境界を引き直しながら、諸々の関係性の上に刹那的に出立してくるような「自分」である。
なぜヨガにおいてこの「自分」を取り扱うのが可能になるかというと、変化の只中において、またあらゆるものとの関係の只中において、その都度現れてくる「自分」を観るからである。
tapas(不純物の除去、ヨガにおけるいわゆる「健康効果」)と同時に、つまり変化しつつある主体としての「私」を対象に、このsvadhyaya(自己理解)が起こる。
特に「呼吸」といった、あらゆるものとの関係性を意識せざるを得ないような状態のもと、このsvadhyayaが起きる。
ヨガにおける自己理解は、このような実践の中で起こるからこそ、近代的精神が作り出した「固定的な自己」という幻想にとらわれずに、変化の只中における「自分」を見つめることができる。
では、ヨガにおいてもう一つ同時に起こるとされる、isvarapranidanaとは何か。
通常、「自在神祈念」と訳されるこの言葉だが、特定の神を信仰していない僕としては、もう少し自然科学的に表したい。
T.K.V.デシカチャー(僕の先生の先生)は、このisvarapranidanaを
「行うすべての事に対して主人ではなくなること」("The Heart of Yoga")と訳している。
行いによってこの世に現れてくる現象は、(ニュートン的な世界観における)「個」が所有できるものでは決してない。
というより、何かを所有できたり、その責任のすべてを引き受けたりできるような、一貫した同一性を持った「個」など存在していない。
(一時的に出立する)私の行いは、地球の裏側で起こった些細な出来事からも、わずかながら(決してゼロではない)影響を受けている。そしてその行いも、すぐに世界の中に溶け込み、またあらゆるものに伝播してゆく。
そう考えると、限られた勢力範囲しか持たず、しかもその範囲さえ現れればすぐに消失してしまうはかない主体としての「私」が、何かを「所有」しようとしたり、「コントロール」しようとしたりすることを、あきらめざるを得ない。
ここにおいて、「諦念」が生じ、世界を貫いている、大きな流れに身を任せたくなる。
諸々の関係性も、絡み合う因果の連鎖も、はかなくも現れる「私」の行いも、「なるようになれ」、と。
その「大きな流れ」と言うべきものに思いを馳せた時、「神」という言葉を使いたくなるのも分からなくはない。
(こんな風にして、「不所有」、「身を委ねる」という一見倫理的お説教のような文言を、自己規律的に課すよりも、「もはやそうでしかあれないもの」として理解し直していくことが、僕の望みのひとつである。)
さて、書く前よりもさらにややこしくなってしまったような感も否めないが、いかがだろうか。
ここに記されているアイデアだって、一時的に現れてはすぐに無意味になるようなものかもしれない。
だが、少なくとも僕にとっては、「一時的にでも現れるべきもの」だったのだ。
「結局なんにもしていない」のと同じような次元で、「それをしなかったら却って不自然だ」と言えるような次元で行為できたらよいな、と思うし、この文章を書きつつも、そうであるように努めたつもりだ。
因果の中に位置づけられるヨガ
前回から引き続き、「原因と結果の究明に忙しい世」ということについて書いてみる。
この思考パターンに慣れ過ぎると、特定の何かを、すべてを解決するような救世主的存在として置きたくなる。
ヨガを伝える際も、そんな願望を持っていそうな人に出会う。
あるいは、僕自身にもそういう願望があるかもしれない(間違いなく過去にはあったし、今もその節はあるかも)。
ただ、「自分の人生、健康」などを好転させてゆく「きっかけ」、「原因(となるべきもの)」としてヨガを置いてしまうと、
他の健康法などとの対比で、そこまで突出したものにはならないのではないか(ヨガの健康効果は計り知れないし、強力なものには違いないが、それでも強力な手段は他にもあるということ)。
また、この語り方は、常に世界をかなり簡略化したものとして描いてしまう。
諸々の関係性、ネットワークによって諸事象は起こるのだという全体を見逃してしまう。
ここにおいて語られているヨガは、主に「tapas(身心を活性化し、不純物を取り除く作用)」という要素についてのことだ。
身心の健康を改善し、次に起こることがより好ましいものになる確率を高める。ヨガにそういう要素が含まれていることは、間違いない。
しかし、ヨガに含まれている要素は、「tapas」だけではない。
tapah svadhyaya isvarapranidanani kriya yogah. (PYS.2-1)
未来の自分のためによりよい「原因」を用意してやることだけが、ヨガではない。
むしろ、原因と結果の連鎖を見通し、諸々の関係において浮かび上がってくる「自分」というものについて知ること(svadhyaya 自己理解)。
そして、それらの連鎖が、個に帰するものでないことを見極め、その流れに身を委ねてゆくこと(isvarapranidana 自在神祈念)。
これらの要素も、併せて含まれているところが、そしてこの3つ(tapas, svadhyaya, isvarapranidana)が同時に行われるということこそが、ヨガの強力たる所以ではないだろうか。
ヨガをしている理由を尋ねられる時、また人にヨガのよさを説明する時、
やはり「より好ましい結果の原因」としてヨガを語ることが求められる。
その語り方もできなくはないが、それでは語り尽くせないということの方に、本当の「よさ」がありはしないだろうか。
過去について語るということ
以下の文章を読んだ時、ちょっと救われた気がした。
夢を語ればその動機を問われ、信念を論ずればその根拠を訊ねられる。病があれば病因を探りはじめ、事故があれば責任の所在が追及される。とかくに人の世は、結果と原因の究明に忙しい。
しかし世界は、原因と結果の連なりに回収できるほど単純にはできていない。いかにもはっきりとした原因と結果の連鎖も、それは辿っていくうちに、複雑に絡みあう世界のネットワークの中に消散してしまい「起源への遡行」は未遂に終わる。そうしてあらためて世界が、互いに支え合う無数のものたちが縁起する、大きな網だったのだと気付く。(森田正男 http://honz.jp/23020)
そう、僕らは「結果と原因の究明に忙しい」世を生きている。
就活などで「自己分析」を経験した人の中でも、こんな疑問を持った人はいないだろうか。
何故自分のやりたいことに対して、「何故」と問われなければならないのか?
「原点」、「原体験」、「きっかけ」などを探して、自分史を辿ってみたりする。
その作業を経て、何となく原点らしきものを掘り当ててみたりするが、そんな説明で自分を語り切れているとはとても思えない。
どこか、偽りの自分を差し出しているような気分になる。
とは言え、休学中の僕は、「個人史」を振り返るという作業をかなり入念にやった。
これからも、折りに触れて行うだろう。
今年の5月、自分史振り返り真っ最中だった僕の、こんな文章が残っていた。
そこでどんなことが掘り出せたかはここに記せないが、どんな心境でこの作業を行ったかは、感じられる文章になっている。
ちょっと長いが、ここに引用してみたい。
自分の過去について語るということは、今まであまり乗り気にならなかった。自分が今行っていることの理由を、過去のどこかの地点に求めるのがイヤだったのだ。ある経験を「こういう経験で、今の自分にこういう意味を与えた」などと特定の言葉に捨象させてしまうのもイヤだし、今の自分を「あの経験があったから今の自分があるのだ」などと結論付けるのもスッキリしすぎてイヤだった。
しかしながら、経験を語り直すという作業をしないと、経験(の記憶)はむしろ固定化された意味のまま残り続けることになってしまう。記憶は必ず何らかの意味を持たされ、保存されている。だからこそ、語り直さなければならない。語らないまま放っておくのではなく、(記憶されている以上、すでに何らかの仕方で語られてしまっているのだから、)語り直して、そこに流動的な意味をもたらす必要がある。その作業があってこそ、記憶が自分の中で固定されず、どんな意味にも回収し切れないものとして響き続けることができる。記憶は、語られないことによってではなく、語られ直すことによって生を吹き返すのだ。(中略)
生きているうちに、改めて過去を検討する必要が生じてきた場合のみ、過去について固定的に行ってしまっている意味付けをやり直す必要が出てきた場合のみ、過去に取り組めばよいのだと思う。そしてその取り組みは、今問題になっている以上、結局今の生に取り組むことなのだ。たまたま僕にとっては、今がそのタイミングなのかもしれない。
原因と結果によって語る思考に慣れてしまうと、世界をずいぶん単純なものとして取り扱ってしまうだろう。
「よい結果」が得られたときに、特定の何か(「自分のあの行動」など)が原因になっているという、思い上がりも招きかねない。
だからこそ、特定の説明方法で自分の過去を固定してしまわないよう、時に語り直すことは必要なのかもしれない。ただし、語り直すということの目的は、「(今度こそ)真の説明」を見つけ出すことではなく、「どんな意味にも置き換えられない不定性」としての過去を再認識することに他ならない。
振り返る際の自分の状態によっても、過去にどんな意味づけがなされるかが変わるだろう。その時の気分によって、他者からの声かけに対する反応が異なってしまうように。
そういう意味では、「過去の自分を振り返る」という作業は、過去の自分との関係において現れてくる「今の自分」について知る作業でもある。
原因と結果の連鎖について、例によってヨガの観点から語りたくなったが、長くなりそうだし、専門用語を多発してしまいそうなので、また別の記事で(書けました)。
ハロウィンへのお誘い、的な意味で。
「あなたの中で起こっている、呼吸というパーティーは終わらない」
by マーク・ウィットウェル
現にあなたが生きている、という燦然たる事実がある。
その事実に、どう取り合うか、僕らには自由が与えられている。
それを賛美することもできるし、そんなことあまり重要じゃないことにして、何かが足りないかのように、何かを追い求め続ける人生を歩むこともできる。
あなたが全く意に介さなくても、あなたの中に、あなたとして、そこにいのちは存在している。
ヨガは、この事実を賛美しませんか、と呼び掛ける。
これは、頑張って到達するような境地ではなく、むしろライフスタイルの選択に近い。
今年のハロウィン、どうしようかな、ということに似ている。
ハロウィンなんてないことにして過ごすこともできるし、それに加わって楽しむこともできる。
あなたが参加しなくても、ハロウィンは存在している。
もし、参加したいなら、「参加する」と心に決めるだけでよい。
ハロウィンに参加するに相応しい自分になろう、とか、ハロウィンのことを絶対に忘れないようにしよう、なんていう努力は必要なく、ただ「そう思う」だけでよい。
僕らが、「いのち」ということにどう向き合うかも、これに似ている。
それは、いつもここに存在しているが故、その気になれば、いつでも賛美しうる。
賛美の仕方を絶対に忘れないようにしよう、とか、この味を覚えておいて、いつでも再現できるようにしよう、などという計らいなしに。
自分を固定したアイデンティティとして扱い、そこによさげな属性をくっつけようと躍起になるような苦しみなしに。
この事実を、少なくとも論理的に理解しておくことはできる。
生の神秘、それはすでに与えられているのに、いつか、どこかで、あんな体験をすれば、あの仕事に就ければ、ついに辿り着く、なんていうまやかしに騙されっぱなしでいる必要はない。
ただ、物事を分かるにも、いろいろなレベルの分かり方がある。
僕なんかは、このことを知的に理解しておくだけでなく、全身を使ってそういう風に生きてみたくなる。
だから、わざわざハタ・ヨーガをするのだと思う。
生の神秘に全身が参与した時、知的に分かる、ということとはまた違った分かり方がある。
ああ、これでいいんだな、と全身が納得する。
だから、ヨガを始めるのに、何かしらのハードルを感じてしまう人は、こう思ってほしい。
「あなたの中で起こっている呼吸というパーティーは、すでに始まっているし、あなたがそれに参加しようと思うなら、いつでも開かれている」
(しかも、ハロウィンパーティーに参加するより、ずっとハードルが低いはず。仮装なんてせずに、そのままの姿で!)
(以下、補足。煩わしい方は読み飛ばしてください。)
この文章全体を通して、「生きていること」、「いのち」を「在る」ということとほぼ同義で使った。
厳密に言えば、両者には明確な違いがある。
「在る」は単なる存在で、
「生きていること」、「いのち」は、存在の様式(内容)だ。
この両者を明確に区別して論じるべきだ、という見方もあるだろう。
そして、僕らがいつでも賛美しうるのは、むしろ「在る」ということの方なのだ、と。
しかし、論理的に必然的なつながりがなくても、現実的に恒常的なつながりがある、というケースもある。
僕らが「在る」ということは、「いのち(身体を持ったり、呼吸をしたりすること)」と論理的に必然的なつながりはないのだけれど、(そうじゃない「在り方」も想定可能なわけだけれど、)
しかし現実には、僕らが「在る」ということと「いのちである」ことはほぼイコールだ。
ハタ・ヨーガは、現実的で実践的なツールであり、しかも人間を対象にしている。(カフカの『変身』の主人公のような主体を想定はしていないということ)
だから、「在る」というどんな感覚にも置き換えられない形而上的(メタ・フィジカルな)主題を、「生きていることの(フィジカルな)感触」と結びつけてしまうことも、便宜的には許されるのではないか、と思う。
そういう仕方で理解した時、「在る」ということと「生きる」ということを別個に論じる方が、むしろ不自然な気がしてくるのだ。