的場悠人の体和 Tai-wa 日記

理論と実践を行き来するヨガ研究者。ここではヨガ以外のことも。大学時代から継続のブログ。

「外」としての自然、そして自己


普段僕らが扱っているものとしての自然は、人間的な意味を担わされ、道具、資源、鑑賞などの対象に貶められている。

しかし、そんな意味を超えて、理不尽に、不条理に、まったくの「外」から、到来してしまう自然がある。
8年前に僕らが見たのは、その片鱗かもしれない。

不意に到来するもの、それを忘却しておけるのが、人間的な努力であり、凄さでもある。
が、この世界の中で生きている限り、統御不能なものとしての「自然」との遭遇は避けられない。
実は、絶えず遭遇しているはず。

1番身近なはずの「わたし」だって、大切な愛すべき「あなた」だって、わたしには理解不能な意味で溢れた「外」だ。

この未知なものに対して開かれているとは、開こうとする体系的な努力によって成し遂げられるわけじゃない。

むしろ、努力の正反対だ。
ちょうど、吸う息が、能動的に吸い入れる努力なのではなく、ただ空白を作って待っているだけなのと同様に。

そこで起きていることを、自分の文脈や体系に位置づけたり、豊かな意味を持たせたり、意図的に味わったりすることを「せず」、ただそこにいること。
どっちにしろ、ぼくらは自然から離れられないのだから。

僕自身は大きな被害を受けた訳ではないし、そこに大きな意味を付けられないのだけど、そんな気持ちでこの日を終えたい。

#311