ハートを生きる??
つかみどころのない、しかし確実に存在しているもの。
それが存在していなければ、あとのすべても全く存在し得ないような、源。
それを、身体的に感じることがある。
胸の真ん中辺り、ハートに。
吸う息が入ってきて、吐く息がそこから出ていく、
はっきりと指し示すことはできないけれど、
そこに「ハート」がある。
そして、たまに訳も分からずハートが疼いたり、イヤだと告げてきたり、求めるものを指し示してくれたりする(ような気がする)。
その方向性に従っていれば、なんだか大丈夫な気がする。
でも、このベクトルは、長さのない矢印(矛盾しているけれど)のようなもので、
ひとまず方向性だけは示してくれるけれど、そこから先がどうなっているかは全く見せてくれない。
その方向性に沿って、肉体が、マインドが、実際に行為を為していく。
この指し示してくれる「ハート」は、
どうも(肉体で区切られた)「自分」だけのものだとは思えないし、
全生命を貫いているようにも思えることがあるし、
ということは、この肉体が死んでも、在り続けるような気がする。
本当に、「気がする」だけなのだけど、そんな想いを持って、
久しぶりに「バガヴァッド・ギーター」を読んだら、なんだかすんなりと入ってきた。
ここにあるこいつは、「自分」が死んでも死なないかも??
大学生活があと一年になり、本格的に進路を考える時期。
どうやって収入を得て、どんな技能を身につけて、何者として生きていくのか。
そんなことばかり考えていると、肉体の中に閉じられた、寿命の限られた、一個の不安な、弱い存在としての自分しか見えなくなる。
それが、結構苦しい。
そんな中、今日ふと思ったことは、そんな日常を生き抜くための、
強さを授けてくれるだろうか。
そして、自分の死さえも乗り越えた、ひとつのダルマ(仕事)を為すための、
必要な智慧をもたらしてくれるだろうか。
この先、全然どうなるかわからないけれど、ここにある大事なものは、
大事にし続けたいと思う。