的場悠人の体和 Tai-wa 日記

理論と実践を行き来するヨガ研究者。ここではヨガ以外のことも。大学時代から継続のブログ。

サッカー少年が、ゆるやかに死んでいく過程

なんだかよく分からない偶然が続いて、サッカー少年だった時代の僕のことを、振り返らざるを得なくなった。

というより、僕の過去が、勝手にストーリーとして紡がれて、今の自分を編み込んでいる素材として、ありありと感じられるようになった。

 

そういえば僕は、ずいぶん熱心なサッカー少年だった。

そいつが、ゆるやかに死に始めたのは、いつからだっただろうか。

高校入学直前、スペインでプレーする機会をもらい、同世代の世界レベルを体感した。

全く追いつけないほどではない。高校での頑張り次第では・・

そんな気持ちで高校サッカーをスタートさせた。

 

 

それから、、

現実は、分かりにくく、徐々に、しかし確実に、突きつけられてきた。

高2、高3と上がるにつれて、県内のトップとも言えない高校でレギュラーにすらなれないという現実が、どんどん重くなってくる。

いつまでも、「サッカーで世界に行きたい」などとは言っていられなくなる。

進路も考えなければ、勉強もしなければ・・・

 

僕は、サッカーにおいて、ちょっと特殊な努力をしていた。

きっかけは、中3の冬、甲野陽紀先生(身体技法研究者)との出会い。

周囲との体格差などで苦しんでいた僕は、筋トレなど西洋科学的なトレーニングを断念し、東洋の智慧が育んできた身心技術に目をつけた。

触れたと思えば人を軽々と投げる武術家、1日200キロ走る飛脚、米俵を楽々と担ぐ農家のおばあさん。

現代スポーツの常識を超えた、身体が持つ桁違いのポテンシャルを、目の前で見せてくれたのが甲野陽紀先生だった。

月1回、教室に通いつつ、学んだものをサッカーのグラウンドで活かそうと躍起になった。

その過程で、ずいぶんと変な工夫をしながら。

 

例えば、

準備運動をやめた。いつ襲われても動ける、武術家のような身体を目指して。

筋トレをやめた。局所的に身体を鍛えるという発想を、捨てたかったから。

スパイクではなく、トレーニングシューズを履いて練習した。

地面を噛むようなスパイクより、足底が平らなトレーニングシューズの方が、なめらかに動ける気がしたから。

飛脚のように、荷物を持ったまま走って、家まで帰った。

ケガで練習できない時は、一本歯の下駄を買って、それを履いて歩き回ったりした。

走り方、身体のぶつけ方、手の形、視野の置き方、

いろんなことを見直してみた。

 

そのせいで、けっこう変なヤツだと思われていたはずだし、

僕自身も、通常のスポーツトレーニングで指導されることとのギャップに戸惑い、混乱することも多々あった。

試合の後監督に提出する「サッカーノート」の中に、戦術的なことに加えて武術的な観点でいろいろ書いてみたら、「自分の考えを持つのは大事だが、チームスポーツなんだから、周りとつながることが大事」というコメントが返ってきた。

 

それもこれも、僕がサッカープレイヤーとして結果を出せれば、違うものになっていたはずだ。

しかし、3年間は短すぎた。或いは、僕の力が圧倒的に及ばなかった。

そして、終わりが近づくにつれ、単に「高校サッカー引退」という以上の意味が、僕に突き付けられてきた。

それは、5歳からずっと育んできた、サッカー少年としての僕の死だ。

 

 

高3の中頃になると、自分の立ち位置がぼんやりと分かるようになる。

「どうやら無理らしい」という声を、かき消すように練習する。

が、だんだんとその声が大きくなる・・・

 

その頃の僕のパフォーマンスは、ひどいものだった。

なぜか試合になるとすぐに息切れしたし、ボールが足に付かなかった。

チームメイトとも、よく言い合いになった。

今思うと、神経症的ですらあったと思う。

 

公式戦に出る、全国大会を目指す、とか以前の問題だった。

本来、「もっと練習する」ということ以外で解決すべきものだったのだろうが、当時の僕は、ひたすら練習することによってしか、自分を保てなかったのだと思う。

 

ベンチで水やらタオルやらのサポートをしながら迎えた、高校サッカー引退の日は、周りのみんなにつられて涙も出たけれど、感情は無だった。

僕の中では、もうとっくに「終わっていた」から。

 

そして、グラウンドに行かない毎日が始まり、

すぐに大学受験があり、無事に筑波大進学が決まった。

もう、サッカーをやる気にはなれなかった。

 

サッカーの過程で出会った身体の可能性への探究は、禅、さまざまな武術、ボディーワーク、そしてヨガへと僕を導き、未だに同じくらいの熱さで燃えている。

 

しかし、サッカーで世界を目指したあの少年の熱は、いつ終わりと告げられることもなく、じんわりと消された。

 

そして、今でもたまに、とってもリアルな夢を見る。

試合に出られるのかどうか分からず、ピッチ脇でウォーミングアップする、微妙な緊張感。

疲れた身体を引きずりつつも、早朝に起き出して走り出す、あの日常。

飛び交う声、襲い掛かってくる人たちの中で、足元のボールに触れ、ゴールを目指す‥‥

 

あんまり、大きな問題だと思っていなかった。

「弔い」。

納得して終わらせてあげらなかったからこそ、成仏できない魂のように、僕の中に息づき続ける、サッカー少年の熱。

 

今でもたまに、ボールを蹴る。

サッカーをテレビで観る。

この楽しみは続けたいから、完全に死なせなくない。

 

それでも、納得できないままゆるやかに死を迎えてしまったこいつを、

ちゃんと「弔い」してやりたいと思う。

こいつの熱も、満たされないところで空回りを続けるのではなく、

今の僕の生に、参加してきてくれるように。

 

よく頑張りました。

これからも一緒に生きていこう。

 

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高校サッカー最後に出た試合にて。