印象的な言葉たち
昨日、私は今日よりも照らされ方が少なかったわけではないし、今日、より多く照らされているわけでもない。なぜなら、もし昨日私が事をこの様に見ることができたなら、私は確かにそう見ただろうからである。(『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』)
なんだこのカッコいい言葉。
これを読んで、パッと連想した言葉がこちら。
わたしたちはいずれにしても悟っているんだけど、必ずしも想定しているような悟り方をしているわけじゃないというだけだ。(J.マシューズ『ただそのままでいるための超簡約指南』)
「わたしたちはいずれにしても悟っている」とは、何とも大胆に聞こえるけれど、
僕にとっては真実に聞こえる。
それともうひとつ、連想した言葉。
神秘とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるというそのことである。
(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』)
「世界があること」そのものが、「照らし」であり、「神秘」である。
まさか、そんなものが「悟り」だなんて思ってもいないかもしれないけれど。