ヨガは「誰でもできる」のか
(前回の続き)
もしヨガが全人的なものであり得たとしても、
実際に僕がヨガを伝えるとき、
具現化するそのかたち、言語化するその言葉は、
目の前にいるあなた専用であり、決して全人的ではあり得ない。
全人的であることを志向しつつも、
目の前の人に向かって語りかけるときは、
決して普遍化などを目指さずに、
その1対1の関係を全うすればよいのだ、と思う。
グループレッスンであっても、1対多なのではなく、
1対1が多数あるだけだ。
こういう時の言葉の使い方って難しいよね。
誰でもヨガはできます、なんてことを言ってみても、
実際に「誰でもできるヨガ」を提示することはできない。
だからって、「誰でもヨガはできます」という言葉が嘘だというわけではない。
ひとつのことを直観しても、
それを示すためには、常に正確さに近づく不断の努力と、
やっとの想いで見つけた言葉も、次の瞬間には捨ててしまえるような潔さ(ある友人が言ってた好きな言葉)が大切なのだろう。