的場悠人の体和 Tai-wa 日記

理論と実践を行き来するヨガ研究者。ここではヨガ以外のことも。大学時代から継続のブログ。

僕らのからだから生まれる道徳について

ものすごく「不道徳」だと言われるような立場も想定して、道徳を考える必要がある。

 

例えば、「人間の死を悲しく思わない」という人がいたっていい。

 

人間が、人間や動物の死(特に目の前で起こる)に対して「悲しい」という感情を持つのは、

たんに人間的な身体が、それを「悲しい」と知覚するからに他ならないのではないか。

 

細胞ひとつひとつの死を悲しみ、逆にそれらの生成を歓ぶような存在がいてもおかしくない。

それは、道徳的に優劣があるわけではなく、視点が違うだけだ。

 

あくまで人間は、「人間的身体」の制約のもと、「道徳的だ」とかそうじゃないとか言っている。

 

ただし、以上のような想定が可能だとしても、僕ら人間はそうたやすく「人間的身体」を離れることはできない。

こうしている今も、僕は「人間する」することを仕向けられ、そうするしかない存在なのだ。

 

目の前で人間や動物が死ぬのを、僕は見たくないし、それを「イヤ」だと思うようにできているカラダからも、脱却できる気はしない。