体和日記 Tai-wa-nikki

つくばを拠点に、体和塾(カラダを和ませ、カラダで世界と和する塾)という活動をしています。主な着想元は、ハートオブヨガと武術的な身体術。

空(くう)と虚しさと楽しさと。

ヴェーダンタ哲学とか、非二元論哲学に、幸か不幸か、出会ってしまった。

 

世界は空であり、そこに「ただ気づいている」究極の主体がいる、という。

 

例えば、何かイヤなことがあったとする。

その際、僕らはいろんなことを感じ、考える。

 

「あ、イヤだなー」

「どうやったらこれから逃れられるかな」

「でも、これとどうにか仲良くできないだろうか」

 

ちょっとスピリチュアルな探究に関心ある人だと、

「判断せずに、ただ受け止めよう」

「これに対しても、無条件の愛で接することはできないものか」

「判断しちゃダメって思うこの心も、判断してるんだよな・・・」

などなど。

 

これらを、どこまでも含み入れ、どこまでも包み込み、ただ気づき、絶大なる「肯定」を与える、究極の自己。

言わば、世界外存在であり、それ故、知覚され得ない。

(ヨガ哲学における究極の自己purushaも見る者Seerとして定義されており、現象世界prakritiと交わることなく存在する、とされる)

 

この「自己」さえ想定できてしまえば、人生はある意味で、絶対に安全なものになる。

どんなに現象として悪いことが起こっても、どこまでも含み入れて包み込んでくれる主体があるからだ。

「それも運命であり、起こるべくして起こったのだよ」、と。

 

この世界観に立つと、僕らが生きる日常世界はことごとく「空」だとされる。

どんな苦しみも、歓びもだ。

 

この考えを知ったとき、ある種の救いはあった。

どんな苦しみも、「空」だとしてしまえるからだ。

 

でも、考えれば考えるほど、「それって虚しくない?」と思うようになってきた。

(そもそも考えるものじゃない、感じるものだ、とか言われたりするんだけど)

 

感じろ、という言い分も何となく分かるから、考えるだけじゃなく、ヨガをしたり、感覚に任せきったりすることもある。

論理的な納得感はないけど、そこに気持ちよさはあるから。

でも、納得感は全然ない。(やばい、こんなんじゃ人にヨガを教えている場合じゃない!)

 

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僕が虚しさを感じるのは、以下のような描写だ。

 

僕たちが世界だと思っているのは実は幻影であり、「ほんとうの」世界はただそれに気づいている者である。

「ほんとうの世界」は、映画の映像ではなく、白いスクリーンなのである。

 

うーーーん。そう言われると、映画の中で生きるのが虚しくならないか?

映画の中でしか生きられないっていうのに。

 

だから、「映画と分かりつつそれを全力で演じる」とか言われたりするんだけど、それもしっくり来ない。

(名役者じゃあるまいし!)

「空だ」という自覚を持ちながら現象を生きることは、「どうせフィクションだよ」と冷めながら小説を読むようなものだ。どうしても、迷いがあり、逃げがあり、入り込めなさがある。そんなんじゃ、感動もできないし、それこそ何のために生まれてきたんだ?と。

(最近、個性が乏しくて悩む主人公の小説を読んだ。彼は自分のことを「色彩がない」と称したが、ここで言っている虚しさは、そのレベルのものではない。だって、白黒ですらない「空」なんだから!)

 

 

とは言え、これらの記述をする啓発的な本を非難しているわけじゃない。

これらの本にも、一種の真理が含まれていて、それに救われる人もいると思う。

 

最近つくづく思うのは、あらゆる意味で、人生の極致は、言葉で直接指し示せない、ということだ。

「直接」と言ったのは、通常の科学的事実を述べるようには述べられないということ。

 

でも、たとえフィクションの小説や、一見意味不明の詩であっても、ある人に、あるタイミングにおいて、決定的に重要な意味を持ったりする。(とは言え、ある特定の言葉にずっと頼って生きていくことはできないのである!)

 

僕がヴェーダンタ哲学や非二元論哲学の本を読んだとき、そこには確かに救いがあった。

あくまで、その時、そのタイミングにおいては。

 

このタイミングは、その人に固有のものであり、だからこそ安易に「本のおススメ」なんてできないな・・・

 

 

改めて、再確認したいこと。

「永続的に通用する言葉や方法を見つけようとするな!」

(ってことは、この言葉も永続的には使えないのか)

 

なんだか、ものすごくまとまりの文になってしまった。

しかも、出口のない思索に見える。

(ある視点からは、これらすべてを「空」と言ってのけることも可能だ)

 

もうしばらく、悩んでみよう。

でも、だからといって暗くはならない!

それすらも楽しみたい。

と、ひとまず強がってみるか。