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体和日記 Tai-wa-nikki

カラダを和ませ、カラダで世界と和する。ヨガや身体操法を用いて人間の身心を考える大学生の日記。

ユートピア的になること、開いていること

「仲間内」のよさ

類は友を呼ぶ。

 

僕も、ひとりで生きていけるほど強くはないから、群れる。

 

その「仲間内」って、結構心地がいい。

 

だから、その中で生を完結したくなるような欲に駆られることがある。

 

ユートピア的、小社会。

 

何か理想があって、それに共鳴する仲間をつくり、その理想に近づこうとする努力は、尊いものだと思う。

 

その際、ひとりで理想を追求できるほど大抵の人は強くないから、仲間は必要だ。

 

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「ほんとうは」って、、

 

一方で、こんな視点も持っておきたい。

 

そのユートピアの内部と外部で、振る舞いを変えてはいないか。

そもそも、内部と外部を区分けしてしまうことはどうなのか。

 

理想を高く掲げるほど、そうでないものに出会った時、

 

「ほんとうは」そうじゃないのに・・

 

という思いに駆られてしまう。

 

でも、「ほんとうは」ってなんだろうね。

 

「ほんとうは」、目の前にある現実なわけです。

 

そもそも、「理想」として掲げるものがある時点で、その「理想」は現実になっていない、ということ。

現実は、他のものに支配されている、っていうこと。

 

悔しいけど、この現実を受け止めなければいけないんだよね。

 

どんなに理想を掲げ、それに共鳴する仲間が増え、その内部で心地よく生きられたとしても、(残念ながら、)そうでない場所、人、時期は存在している。(その理想が、世界中を覆い尽くさない限りは。)

 

大事なのは、「理想でないもの」に出会ったとき、どんな態度がとれるかだと思う。

 

これは現実ではない、「ほんとうは」こっちが正しいんだ!と、理想に逃げ込んでしまうのか。

 

理想ではないその現実の中で、逃避せずに戦うことができるか。

 

二面性の葛藤 

 

理想を掲げること、それに共鳴する仲間が増えることの弊害もある。

 

それが内部で強化されるほど、「自分(たち)が正しい」という態度を取りがちになる。

 

でも、もし異なる知見と遭遇して食い違ったのなら、一瞬にしてその理想を捨て去る可能性も持つという潔さも同時に持っておきたい。

 

「これがいい!」と直観したものを追い求める実直さと、

 

「もしかしたら違うのかもしれない」、と常に開かれた態度でいること。

 

 

この二面性は、どこに行っても必要なのだと思う。

 

ところで、「開いている」って、決して何でも「ハイ、ハイ」と受け入れることでは決してない。

 

自分の本音が背くなら、本気で背を向けることが、最も「開いた」態度であることだってある。