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体和日記 Tai-wa-nikki

カラダを和ませ、カラダを使って、世界と和する。茨城県つくば市から、あふれる言葉たちを、つらつらと。

逆立ちして、哲学してみた。

ヨガの考え方 哲学っぽいこと

上下ひっくり返れば…

 

久しぶりの記事になります。

今日、自分でも自分がいかれているんじゃないか、というような行動をとっていました。

 

何をしたかというと、「逆立ちして、哲学した」のです。

 

大学は学期末。レポート課題に追われる中、頭の中がごちゃごちゃしているのが自分でもわかります。

 

そんな中でも、毎日ヨガは続けてます。

 

で、何を思い立ったか、哲学のレポートについての考えで頭がいっぱいのまま、ヨガマットに向かい、いきなりヘッドスタンド(頭を着いた逆立ち)をしてみたのです。(真似はしないでください。)

 

何が起こったかというと、何も起こりませんでした。

 

体を上下ひっくり返したとたん、魔法のように思考が整理されていく、なんてことは残念ながらありませんでした。

 

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 (この写真は僕じゃないです。インド人の友達。)

 

でも、こんな考えが浮かびました。(逆立ちしてる最中に!)

 

哲学とは、身体行為である。

思想は、カラダから生まれる。

だから、自分がどんなカラダであるかによって、浮かんでくる考えも異なってくるんじゃないか。

 

下支えとしてのカラダ

 

最近、哲学書を読んでいると、哲学者の中に入り込んでしまう、ということがしばしば起きます。

その人が味わっていたであろう、苦しみを文字通り身体的な痛みとして感じたり、逆にあまりの衝撃で、笑いが込み上げてきたり。(僕の場合、なぜか「笑いが込み上げてくる」ことが多いんですよね。図書館とかでそうなると、変な人みたいなので気をつけないと。)

 

ところで、哲学のスパイラルにはまっていくと、どうしても「暗く」なりがちだ。

そこから逃げない、誠実さも重要だが、別に明るくてもいいじゃん、とも思う。

 

だから、カラダって大事なんだと思う。

健康なカラダの下支えがあれば、暗くならざるを得ないような思考にも耐えうる。

 

極論、考え事をしているとき、どんな姿勢で考えているかとか、直前に何を食べたかとかによっても、その内実は変わってくるんでしょうね。

変にうつむいた姿勢でいると、思考のほうも引きずられて暗くなっていきそう。

 

だからこそ、毎日何かしらでカラダを癒してあげることって、結構重要なことなんじゃないだろうか。

僕の場合、その手段がヨガだったり武術だったり。

 

自分を自分で癒せる手段を持っておくこと。

 

現代を生きる上で、欠かせないスキルかもしれません。

 

でも、「逃げ道としてヨガをすること」を勧めているわけではありません。

 

逃避ではなく、むしろ戦えるカラダであるために。