読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

体和日記 Tai-wa-nikki

つくばを拠点に、体和塾(カラダを和ませ、カラダで世界と和する塾)という活動をしています。主な着想元は、ハートオブヨガと武術的な身体術。

JIDAIさんの演技を観て、考えたこと。

「魂の時間」

マイムアーティスト、JIDAIさんの舞台を観に行ってきた。

 

f:id:yutoj90esp:20170129215112p:plain

演技後のお話では、「オーガニックマイム」というJIDAIさん独自の世界観が語られた。

 

一種の瞑想状態に入っているという演技の最中、エゴの感情ではなく、「普遍的な感情」、「宇宙に遍在する感情」が役者の身体を通して表出する、とJIDAIさんは言う。

 

その時、観ている僕たちも、一体となってその「普遍感情」を感じ、座って観ている観客でありながら、猟師になったり、動物になったり、いろいろな物に変身したりできる不思議な時間。

 

JIDAIさんはこの時間を、「魂の時間」と表現した。

 

この時、僕らは、大袈裟に言うと、「人間であること」をやめる。

 

日常を生きている、様々な「物語」から解放され、宇宙に還っていくような、そんな感じがする。

 

「聖なる魂」と、「俗なる私」

ところで、この「魂の時間」と、普通に日常を生きる「私」の時間。この両者をつなげないか。最近僕はこんなことを考えている。

 

「魂の時間」には、言葉がない。したがって、物語がない。

 

ふだん、頭で考えた「物語」を生きている僕たちに、この空白は理解できない。

 

JIDAIさんのマイムは、そこにわずかながら切り口を入れる。

 

「理解」が追い付かない魂の時間に、マイムの「物語性」というべきものが挿入されているおかげで、僕たちは、ふと「普段の私」に戻る。宇宙と一体となった「魂」から、「人間」に戻ったり、「日本人」に戻ったり、「悩んでいる私」に戻ったりする。

 

 このように、聖なる時間と普通の時間を行き来することで、僕たちの日常に揺さぶりをかけられるのではないか。「マイムのアイデアを日常から得られることはあるんですか」という質問に、JIDAIさんはこう答えていた。

 

 むしろ、マイムでやったことが、日常に気づきを与えてくれたりするんです。

 

 

ヨガのクラスも、どちらかというと「魂の時間」に近い。始まってからは、変にしゃべれないような、ピンとした緊張感が張りつめる。それはそれで好きなんだけど、この時間が、日常から全く断絶したものになってしまうと、なんだかもったいない気がする。

 

そこに、あえて「俗」なるものを持ちこんで、聖と俗を行き来する。そうすることで、ヨガの「特別感」をなくしていきたいと思っている。

 

ヨガは、特別な人が、特別な時にやるのではなく、普通の人が普通にやるものなんだと。

 

まとまっていませんが、僕の探究は続きます。

 

今回の文章、読んでも訳分からなかったら、JIDAIさんの演技を観に行ってみてください。このリンクからも、動画が見られます。