楽しそうに太鼓を叩く人は、太鼓からも愛されている
高校生のときに読んでいた本をふと読み返してみた。
「雀鬼」桜井章一氏の『体を整える』という本。当時の僕が付箋を貼っていたのは、こんな言葉。
卓球の平野早矢香選手が、「練習量には自信があるのに、なんでもっとうまくならないんだろう」と悩んでいるとき、桜井氏が彼女にかけた言葉。
それじゃストーカーだよ。卓球から愛してもらうようにならないと…
高校のサッカー部で日々練習に励んでいた僕にとって、この言葉はかなり刺さったのを覚えている。
当時の僕のノートには、こんなメモがあった。
監督より、チームメイトより、サッカーに愛されたい。サッカーが自分を好きになってくれるような人でありたい。
何気ない所作からわかること
僕たちが、一方的に、何かを好きになることは自由だ。
でも、向こうが好きになってくれるとは限らない。振り向いてもらうためには、独りよがりではいけない。
「私はこんなに頑張っているのに、なんで振り向いてくれないの!」という態度では、なかなか好きになってもらえないのだろう。
ところで、幸せそうに自分の仕事や趣味に取り組んでいる人には、どこか共通点がある気がする。
和太鼓奏者が、一本一本のバチを自分の息子のようにかわいがる。ヨガの先生が、ヨガマットをやさしく広げる。料理人が、食材と対話するように包丁を入れていく。
自分のやっていることと「両想い」になる。もちろん、簡単にはその方法を示せないけど、このような何気ない所作、モノの扱い方に、ひとつの切り口があるような気がする。
そういえば、イチロー選手も、こんなことを言っていたという。
道具を大事にする気持ちは野球がうまくなりたい気持ちに通じる。
何かに真剣に取り組むなら、好きになりたいし、両想いになりたいよね。