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体和日記 Tai-wa-nikki

カラダを和ませ、カラダを使って、世界と和する。茨城県つくば市から、あふれる言葉たちを、つらつらと。

「ヨガ」という山を登るということ。

ヨガの考え方

 普段とは違う口調で、頭から溢れてきたことをそのまま書いています。一緒に僕の思考を辿ってくれたら嬉しいです。

 

今日思ったこと。

 

本当の自分、真我が望んだことなら、きっと間違えることはないんだろうな、って思う。

 

直感的に間違いない、と思ったことなら、なぜだか分からないけど信用できる。

 

こんな感覚を持っている人は多いんじゃないかと思う。

 

そこに、エゴとか、自分だけの都合とかが混じってくると、途端におかしな方向へ傾く。

 

「ありのままでいい。」

 

この言葉を誤って受け止めると、欲望の赴くまま、どんどん自然を破壊していくような在り方や、他人を不幸にしてまでも欲を叶えようとする在り方さえも、肯定されかねない。

それなら、成長も、修行もしなくていいじゃないか、と。

 

表面的な欲望と、「本当の自分」が望むことは、混同しがちだけど、全く違うものだ。

 

「本当の自分」、「真我」の部分では、きっとみんながつながっている。人だけじゃなくて、動物も、植物も、その辺に落ちてる石だってね。

 

だから、「本当の自分」が望んだことなら、地球の調和を乱すことがない。自分だけの都合で、他人を傷つけたりしない。人間だけの都合で、ほかの物を犠牲にしたりしない。

 

じゃあ、どうやったら、「本当の自分」に出会えるか。エゴと真我を区別できるのか。

 

これって、ただ考えても分かるもんじゃなさそうだ。その「考えている私」が、エゴにまみれてたりするから。

というより、考えた瞬間、自分の都合なんかを含み入れてしまうのが、人間なんだと思う。

 

じゃあ、考えなきゃいいらしい。

 

そうか、考えなきゃいいのね。

 

どうしたら、「考えないで」いられるのだろう?

 

あれ、また考えてるよ。

 

だから、「ありのまま」でいればいいんだ、

 

あれ、なんだか話が一周して戻ってきた。

 

 

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僕がなんでヨガをするか。

 

ヨガっていうのは、真に「本当の自分」を見つけるために、5000年の歴史に育まれた体系なんだと思う。

 

心をきれいにする。

エゴにとらわれるのをやめ、「本当の自分」とつながる。

そのために、どうしたらいいのか。

 

考えても分からないこの叡智を、実践という形で伝承してくれているのが、ヨガというものなんだと思う。

 

『ヨガ・スートラ』を読んでいると、そんな気がしてくる。こんな体系を、はるか昔に書物にした、パタンジャリという人物はすごいな、って思う。

 

もちろん、『ヨガ・スートラ』を読んで考えただけじゃ分からない。天から与えられたこのカラダに乗って、実践を積んでいくことでしか分からないんだろう。

 

 

でも、別にヨガだけが、唯一の道だとは思わない。

 

むしろ、何をやるかは問題じゃない。「ヨガ」をすることに固執し始めたら、それはたぶん「ヨガ」じゃないしね。

 

偶然、幸運にも、僕はヨガに出会えた。

 

一歩先はどんな景色か分からないけど、この山を登ってみようと思う。