「それ」を見つめろ! 韓氏意拳レポート
3時間の講習会中、韓先生は50人近い参加者を前に終始大きな声で語りつつ、エネルギッシュな実演も見せてくれました。その中で特に印象に残った言葉はこれです。
為学日益 為道日損 (学とは日々増えていくこと、道を求むとは日々減らしていくこと)
これは、『老子』からの引用でした。その続きはこうです。
損之又損、以至於無為
(減らした上にまた減らし、どんどん減らしていって、ついには「無為」の立場にゆきつく)
無為而無不為(「無為」のままにいて、それですべてのことを立派になしとげるようになる)
取天下、常以無事。及其有事、不足以取天下(世界を制覇するのは必ず格別な仕事をしないで、あるがままにまかせていくことによってである。もし格別な仕事を少しでもしようものなら、世界を制覇することはできない)
知識や経験が増えると、それを「使ってやろう」という欲が生まれます。その心は、自然に生きようとするカラダと相反します。
「それ」を見つめろ!
稽古の最中、韓先生は繰り返し言いました。
「意念の中で動くのではない!現実に今動いているそれこそが、動作なのだ!」
「意念の中で動くな」とは、意の中で理想とする動きを作り出してから、身体にそれを現前させようとする僕たちの悪い癖を戒めたものです。理論や方法を学び、それを現実に当てはめて学習していくことに慣れた僕たちは、「手を挙げる」という単純な動きの中にさえも、「正しい手の挙げ方」があることを(無意識のうちに)想定しています。そして、その「正しいモデル」に自分を合わせていくように動こうとします。
しかし、現実に「正しい手の挙げ方」など存在するはずがなく、今挙げているその手の動きこそが、私たちが見つめるべきものなのです。そんな時、あらゆる知識や経験は役に立たず、すべきことはただ今の自分を見つめることだけです。知識や経験を豊富に持っていると、それらを駆使して現実に向かおうとするため、現実にいるカラダとのタイムラグが生じます。それは、自然界に生きる動物として、致命的な遅れとなるのです。
韓先生や老子は、「知識が増えること」によるこのような弊害に対し、「為道日損」と言ったのではないでしょうか。
「道」と「学」
ところで、僕自身は道を求める身体技法の実践者であると同時に、学を求める学生でもあります。このことはジレンマでもありますが、学と道を同時に求めることも、僕は不可能なことではないと思っています。
最後に、これからも僕が抱き続けるであろう問いを提示しておきます。
日々生きていくことが道(タオ)であるような心身の在り方とは何か?