体和日記 Tai-wa-nikki

茨城県つくばを拠点に、体和塾(カラダを和ませ、カラダで世界と和する塾)という活動をしています。ハートオブヨガ、甲野式身体術、哲学などから考えたこと、感じたことを、赴くままに。

ココロとカラダを調和させるちょっとしたコツ

 やりたくなるまで待ってみる

 ある日、夕方に帰宅し、何をしようかな、と思いました。ここで「なんとなく」パソコンを点けたり、テレビを点けてしまう人が多いのではないでしょうか。僕もたまにあります。

 ここで問題なのは、インターネットやテレビには、情報が溢れすぎているということです。それらには、僕たちの興味を引くためのあらゆる工夫が施されています。それらをなんとなく眺めているうちに、面白そうと思ってクリックし、気が付いたらこんな時間‥なんてこともあります。

 自分が本当にやりたいことは何なのか?この疑いに真摯に向き合うには、必ず自分のカラダとの「対話」が必要になります。何かを面白そうと思ってクリックし、画面を眺めている間、人は自分の「カラダ」を忘れています。自分のアタマが面白そうと思うもの(大半は面白いと思うように誘導されているモノ)に浸っている間、自分が本当にやりたいことなど忘れてしまいます。

 

 そこで、家に着いてから何かやる前に、「何かやりたくなるまで待ってみる」ということをしてみました。そうしていると、ふと本棚に目が行き、前に買ったけれどまだ読んでいなかった一冊に手が延びました。

 

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 この行動は、僕が僕の意思で動いた、というより、僕のカラダが勝手に選んだ行動でした。その本をとって読んでみると、買った直後より内容が断然頭に入ってきます。 ちょっとスピリチュアルに言うと、僕のカラダ(=最も身近にある自然物)が、最も適切なタイミングでこの本を僕に読ませてくれた。

 

 僕たちは、しばしば「~すべき」という概念に沿って行動を選んでいます。食べるものを選ぶときでさえ、カロリーは、栄養バランスは、隣の人からどう思われるか、などなど、つまるところ「こうすべき」ではないか、という思想にとらわれてしまっています。

 しかし、この「すべき」思想にとらわれている限り、カラダの声は聞こえてきません。いったん頭を空っぽにして、「本当は何が食べたい?」とカラダに聞いてみると、答えは意外と「今は何も食べなくていい」かもしれません。

 本当に食べたくなるまで待って、本当に食べたいものを食べる。そんな食事ができたら、きっと幸せですね。

 

調和が起こるまで待ってみる

 何か新しく始めたい習慣があるときも、「やりたくまるまで待つ」は使えそうです。例えば、ジョギングを始めたいとき。どうも気分が乗らない‥なんていうときに無理やり走ろうとしても、カラダは快く動いてはくれないでしょう。

 そんなとき立ち止まって、「走りたくなるまで待ってみる」。すると、ふとカラダが動き出す瞬間があるかもしれません。そうなったとき、心からジョギングを楽しめ、健康にもよいのではないでしょうか。もしいつまで経っても走りたくならないとしたら?それはもうジョギングに向いていないのかもしれませんね。

 

 よほど意思が強くない限り、ココロとカラダが不調和を起こしたまま何かを続けるのは難しいことです。それが「すべきこと」であったとしても、やりたくなるまで待ってみることで、ココロとカラダが調和した状態で物事に取り組めるのでしょう。

 「~すべき」「今~をやるべき」と自分を縛るより、自分のカラダがふと導いてくれるタイミング、巡りあわせに従いたい、と僕は思うのです。