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体和日記 Tai-wa-nikki

カラダを和ませ、カラダを使って、世界と和する。茨城県つくば市から、あふれる言葉たちを、つらつらと。

「自然な動き」はどこにある?

体和的人生考

「人為にまみれた」現代人のカラダ

 

僕が注目しており、研究の対象とさえしているのは、日常にありふれた何気ない動作です。なぜこんなところに注目するか。それは、「何気なさ」の中にこそ、わざとらしさのない「自然」がひそんでいると考えているからです。

 

人間が自然な心身であるために、日々の言動から人為的な営みを極力減らしていくことが必要だと僕は考えています。しかし、現代はそのことが非常に難しくなっています。食べる、寝るといった原始的な行為でさえ、現代人のそれはカロリー計算、目覚まし時計などによって「人為にまみれた」状態となっています。

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 「何気なさ」が大事なワケ

 しかし、「何気なく」行う動作の中には人為が入り込んでいません。ものを取ろうとしてふと伸ばすその手の動きは、「強く、速く、格好良く」などの概念が混ざる余地はなく、ただそうなるからそうなっているだけです。ここに僕は、「人為にまみれた人間の動きの中に残存する自然さ」を見ます。

 

 この「何気なさ」は、あえてやろうとすると消えてしまいます。ここが難しいところです。「何気なく動いているとき、自分はどうやって動いているんだろう?」こう思って確かめようとした瞬間、その動きは何気なさからほど遠い動きとなってしまいます。

 

 だから、放っておけばいいのです。頭による介入がないとき、カラダは自然に動き出します。野生動物は、うまく走ろうと考えるまでもなく、それでいて最も効率よく合理的に走っている自然物です。その自然さを人間に取り戻すためには、どうすればよいか。そのカギは特別な場所ではなく、僕たちが普段見過ごしている「何気なさ」の中にこそあるのではないでしょうか。

 

最後に、こんな言葉を。

 

道之為物、唯恍唯惚、 忽兮恍兮、其中有象。

(「道」というものはまことにおぼろげで、とらえどころがない。おぼろげでとらえどころはないが、そのぼんやりとした中に何かの形がある)『老子金谷治