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体和日記 Tai-wa-nikki

つくばを拠点に、体和塾(カラダを和ませ、カラダで世界と和する塾)という活動をしています。主な着想元は、ハートオブヨガと武術的な身体術。

よい鏡を使えば、映る自分もよくなる

他人は自分の鏡である

 目の前の他人は、自分の鏡です。そう考えると、目の前に出現した人を見ることで、自分自身を反省的に捉えることができます。

 

 例えば、会話している相手がやけに自分を誇示し、優越感を示してくる場合。こんな時は、この相手の中に、「認められたい、褒められたい」という欲があることの現れでもありますが、同時に、それと同じような欲が自分自身の中にもあることを示していることでもあるのです。

 

 自分の中から、「認められたい、褒められたい」といった欲が一掃されていれば、相手も必死になって誇示してくるはずがないのです。なぜなら、自分の辞書に、「褒められる」という価値観がないから。相手の言ったことに対して「自己顕示欲の強い人だな」などと感じるのは、そもそも自分の中に「自己顕示」という言葉が存在するからなのです。

 

 自分が相手の鏡であるということは、同時に、自分が他人にとっての鏡の役割を果たすことでもあるのです。ということは、自分の在り様で相手の在り様に変化を起こさせることも可能であり、また、相手の在り様によって自分も変化し得るということです。

 

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よい人に出会うことは、なぜ大切か

 つまり、よい人に出会うことは、その人を鏡に使って自分をよくすることにもなるのです。このことを考えさせられたのは、ある方に出会った時です。

 

 この方は、自分を誇示したいという意思が皆無のように思えました。普通、初めて出会った人に対して自分を紹介する時は、少なからず自分のよさをアピールしたいという想いが湧くものです。しかし、全く自己顕示のないこの方を前にして、僕の中にあったはずの自己顕示欲らしきものが、この日は全く顔を出しませんでした。

 

 よく言葉で「自然体でいいんだよ」と言われることがありますが、そう言われたからといって簡単に自然体になれるものではありません。他人の前では、自分をよく見せたい。他人と比較して、よりよくなりたい。そう思ってしまうのが人間の性というものです。

 

しかし、目の前に他人との比較を一切気にせず、ひたすら自分にとってどうであるかにだけ集中している人がいれば、その場自体が、「他人と比較しない場」「自分を誇示しない場」になっていきます。

 

 その人、場、雰囲気から感じ取るものは、言葉で言われたことよりはるかに人を変える力があります。この方と出会い、同じ場を共有した時間で、僕は「自然体でいていい」という無言のメッセージを受け取った気がしました。そして、不思議と僕も自然体を保てたのです。

 

 つまり、目の前によい鏡があれば、そこに映る自分もよいものになっていくということです。僕の次の課題は、このよい鏡が目の前にない時も、よい状態を続けるということでしょう。

 

 そうなれば、今度は僕が他の人にとってのよい鏡になり、その人をよりよく変えていけると思うのです。