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体和日記 Tai-wa-nikki

つくばを拠点に、体和塾(カラダを和ませ、カラダで世界と和する塾)という活動をしています。主な着想元は、ハートオブヨガと武術的な身体術。

インドでヨガの先生が僕たちに望んだこと。

ヨギとしての人生に準備日などない

 修了テスト前日のこと。テストは実技、口頭、筆記がありそのうち筆記が特にハードだったので、みんながテストのための勉強に精一杯になっていました。そんなとき、先生がポツリとつぶやきました。

 

みんながテストでよい回答をしてくれたら、少しだけ嬉しい。

みんながヨギとして生きてくれたら、とても嬉しい。

 

 

 「ヨギ(ヨガを実践する者)として生きる」とは、マットの上だけでなく、生きること全般において、今を見つめ、一瞬一瞬を大切に生きることと言えましょう。

 

 このとき、僕たちの多くは、「明日のテスト」のことで頭がいっぱいになり、中には先生の話を聞かずにノートを眺めたりしている人もいました。

 

 ヨガについて学ぼうとするその行為自体が、ヨギであることから遠ざかる行為になってしまうという皮肉な状況になっていたのです。

 ただ、ヨギであれ。

 思い返すと、プログラム初日のオープニングセレモニーでも、こんなことを言っている先生がいました。

Don’t be a yoga teacher, just be a yogi.

 

 (このプログラムにおいて)ヨガティーチャーになるには、200時間のトレーニングを修了し、テストをパスしなければなりません。逆に、修了証さえ手にできれば、いつでも「私はヨガティーチャーだ」ということができます。

 

一方、ヨギであるとは、一瞬一瞬を問われることです。あなたがもし今までまったくヨガをしたことがなかったとしても、今この瞬間からヨガに生きることを決心したならば、あなたはヨギです。

 

その決心自体に、時間は必要ないし、準備も必要ありません。

 

 ヨギの人生に、準備日はありません。次の日のテストのためにこの瞬間をおろそかにしてしまうのであれば、それはヨギではありません。

 

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 この修了証さえも、僕がヨギであるという証にはならないのです。

 

 ヨガティーチャーであるより、ヨギであれ、という言葉は常に心に刻んでおきたいと思います。