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体和日記 Tai-wa-nikki

つくばを拠点に、体和塾(カラダを和ませ、カラダで世界と和する塾)という活動をしています。主な着想元は、ハートオブヨガと武術的な身体術。

インド11日目の葛藤と気づき

 ヨガについての知識や経験がほぼゼロのまま敢行したインドでのヨガ修行。その時の葛藤がうかがえる11日目の文章を公開します。

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アーサナへの疑問

 

 インドに来て11日目。1日8時間ヨガに取り組む生活を続けて、なんとなくヨガってこういうものなんじゃないか、と思うようになったことがあるので書いてみます。

 

まず、僕がヨガに対して抱いていた根本的な疑問を。

 

なぜ、ヨガではポーズの練習をするのか?

 

 ヨガにとっての聖書ともいえる『ヨガ・スートラ』には、以下の定義が登場します。

 

「ヨガとは、心のはたらきを止滅することである」(1章第2句) 

 

 なぜ、「心のはたらきを止滅すること」を目指すかは、いったん置いておきます。

 

 ひとまずこの定義はよいとして、ではなぜポーズをとったり、呼吸法を練習したりすることが「心のはたらきを止滅する」ことにつながるのか?

                                    

 自分なりに納得したのは、以下のようなロジック。

 

心のはたらきを止滅させようと思っても、心はどこにあるかも分からないし、形もないし、触ることもできないし、放っておくとすぐにいろんなことを考え出します。「心」に直接アプローチしても、雲をつかもうとするようなものです。

 

だからまず、変えられるところから変えて、心を平穏にしていきましょうよと。

 

 そのために、まずはカラダという目に見える、感覚できる、観察可能な対照に対して自覚的になり、観察して変えていくことが有効なのです。だから、いろいろなポーズをとってみて、自分のカラダに気づき、変えていくという方法がとられているのです。

 

 カラダの使い方を学ぶアーサナ(ポーズ)だけなく、他にも取り組めることがあります。それが、日常における行動、態度、それに呼吸です。

 

『ヨガ・スートラ』では、次のように示されています。

 

  • ヤマ (禁戒)「非暴力、正直、不盗、禁欲、不貪」
  • ニヤマ(勧戒)「清浄、知足、苦行、自己探求、祈念」
  • アーサナ(ポーズ、坐法)
  • プラーナヤーマ(呼吸法)

 

 これらを実践していくうちに、心は静まり、だんだんと統御可能なものになっていくのです。

 

ヨガの定義に関する疑問 

 では、なぜ心のはたらきを止滅することを目指すのか?

 

 心のはたらきが止まると、どんなよいことがあるのか?

 

今日ふと思ったのは、こんなこと。

 

心のはたらきを止滅させると、すべてのものを愛せるようになる。

                                                    

心のはたらきがある限り、僕たちには「エゴ」があります。エゴがある限り、愛は限定つきのものになります。

 

 自分だけは、自分の家族だけは、自分の親しいひとだけは、自分の国だけは、あるいは人間だけは、といったように。

 

 そのような限定を取り去っていき、すべてのものを愛せるようになることを目指すのが、ヨガの道が目指すべきもののひとつと呼べそうです。

 

 ヨガにまつわる話で、神、平和、愛などの壮大な話が多くなるのはこのためでしょう。

 

 

 インド11日目にしてなんでこんな文章を書いたか。僕にとってこの文章の重要性は、ヨガが語られるときによく登場する「すべてのものへの愛」などのものすごく壮大な着地点と、地道に自分のカラダに向き合うという実践が、(かなり遠いにせよ)つながったことです。

 

 千里の道も一歩から、ですが、自分がどこに向かっているかも分からずに目の前の道を進むのはつらいものです。今日気づいたことによって、曲がりなりにもひとつ着地点が見え、そして今地道に行っているポーズの練習が、その道につながる第一歩なのだと確認できたのです。

 

 ならば、今の僕がやるべきことは、目の前の実践を地道に積み重ねることでしょう。日常の行動、カラダの使い方、呼吸などで、自分を見つめていくこと。これらを地道に積み重ねる以外ないのだと思います。その過程は、きっと楽しいものです。