インド到着後に書いたこと。
このカテゴリーは、2016年8月28日から9月25日にかけて、インドのリシケシュにてヨガプログラムを受講したときのレポートです。
せっかくなので、インド到着後すぐに書いていた文章を、そのまま公開します。
200時間のティーチャートレーニング
いきなりですが、この度インドにやって来ています。目的地はヨガ発祥の地リシケシュ。ヨガのアーシュラム(修行所のようなところ)に約1か月滞在します。ヨガのアーサナ(ポーズ)だけでなく、プラーナヤーマ(呼吸法)、浄化法、瞑想、解剖学、インド哲学、指導法と、総合的なスキルを学べる計200時間のプログラムに参加しています。無事修了すれば、ヨガインストラクター(全米ヨガアライアンス200)の資格を取得できます。
僕のことを知っている人は、ヨガをやっているというイメージはあまりないでしょう。それもそのはず、僕がヨガを始めたのはわずか今年に入ってからです。それも、ヨガ教室に通ったりすることはなく、書籍やビデオなどの教材を使って独学で学んでいるだけです。
そんな全くのヨガ初心者である僕がなぜ、いきなり聖地リシケシュに行って本格的なトレーニングを受けるという選択をしたか。
インド渡航6つの理由
- 先入観のない状態で良質なヨガ教育を受ける
- アーシュラム(修行所)で1か月生活する
- リシケシュに集まる世界各国からのヨガ愛好家たちとの交流
- 英語力向上
- 資格取得
- 直観
とまあ、理由を挙げるとこんな感じです。
まず「先入観のない状態で良質なヨガ教育を受ける」についてです。現在日本には多数のヨガ教室があり、情報も氾濫しています。インドの伝統的なスタイルに基づいたものもあれば、現代人のニーズに合わせて進化したものも多くあります。正直、多様すぎて何を信じたらいいのか分からない、というのが僕の印象です。
それならば、まっさらな状態で本場のヨガを学びにいけば、先入観にとらわれることなく本物のヨガを体験できるのではないか。ヨガには、長い歴史があり、裏付けとなる哲学があり、実践や指導の方法論もあります。武術などを通して身体運動の人間が生きることの関係を探究していた僕にとって、身体運動(アーサナ)と生き方そのものがセットになって体系づけられているヨガは、とても魅力的な題材であると考えました。だからこそ、誤った理解をしないよう、良質なヨガ教育を受けたいと思ったのです。
一か月海外で単身生活をすることも大きな目的のひとつです。人生で一度しか来ない大学2年の夏休みをいかに有効に使うか、と考えたとき「誰も自分のことを知らない地に行って過ごす」ということは自分を成長させてくれると考えました。
しかも、その場所が「修行所」アーシュラムであるということは、この上ない環境です。日本にいると物質的、精神的に誘惑が多いので、つい楽な方に傾いてしまいがちです。1日8時間近く勉強と実践をし、食事はベジタリアンフードとまさに修行のための場所であるアーシュラムに一か月滞在すれば、集中して自分に向き合えるのではないかと考えました。
また、「聖地」リシケシュには、世界各国から多くのヨガ愛好家たちが集まります。大学で比較文化を学ぶ僕にとって、多様な価値観に触れることは極めて重要です。しかも、ヨガという共通の目的を持って集まる人同士なら、自然と仲良くなれるのでは、と考えたのです。
同時に、英語力の向上にもつながると考えました。ヨガのクラスはすべて英語で行われますし、他の参加者とのコミュニケーションも当然英語になります。アーサナ(ポーズ)だけでなく、座学の哲学や解剖学も英語なので、それなりの英語力は必要です。英語「を」勉強するのではなく、英語をツールにして勉強することで、前回述べたような「上達への必然性」が引き出され、僕の英語力を伸ばしてくれるのではないかと考えました。
このような素晴らしい環境に加え、世界中どこでも使える資格を取得できるという点も、少なからず魅力です。父にこの留学を相談したときには、「1か月で取得できるような資格を頼りに生きていくつもりじゃないだろうね」と釘を刺されましたが。僕が魅力的に思うのは、資格そのものではなく資格に伴って身につく能力です。ヨガの総合的な知識と実践に加えて、「指導する」ということも学べることはとても魅力的な要素です。
いろいろ理由を並べましたが、正直後付けの理由も多いです。何が決め手かというと、直観です。身体技法に興味があったとはいえ、独学で3か月しか学んでいないヨガを、聖地リシケシュでいきなり学ぶ、しかも資格取得を目指すなんて、冷静に考えると無謀な選択です。英語に関しても不安はありました。
それでも、直感的に「ここに行きたい!」と思い、実際に来てしまいました。許可してくれた両親と、少しの勇気のおかげで行動に移すことができました。
この1か月で最大限のことを吸収し、この直観が間違ってなかったと言えるようにしたいと思います。