的場悠人の体和 Tai-wa 日記

理論と実践を行き来するヨガ研究者。ここではヨガ以外のことも。大学時代から継続のブログ。

今日死んでしまっても満足できるヨガを。

 柔らかくなれば自信がつくのか?

 ヨガのアーサナでさまざまなポーズをとっていると、自分のカラダの硬さに気がつきます。たまにはできないポーズも登場したりして、そんな時はちょっと気分が落ち込みます。ヨガクラスの中でみんなができるのに自分だけできなかったりしたら、自信を失うこともあるでしょう。

 

 だから、もっとカラダを柔軟にしたい!と思うわけなのですが、はたしてそれはヨガなのでしょうか。 

もし今よりもカラダが柔軟になり、多くのポーズをとれるようになれば、僕はより自信を得るのでしょうか。

 

否、たとえそれで自信を得たとしても、その自信は相対的なものでしかありません。他人との比較、もしくは過去の自分との比較においてより柔軟になったことに自信を得ていたとしても、もっと柔軟な人に出会えばすぐにその自信は揺らぎます。もっと難しいポーズに出会えばすぐにその自信は揺らぎます。

 

相対的な自信なんて、そんなものです。

だから、他人と比較したときに自分が上回るための努力をするよりも、他人と比較した時に自分が劣っていたとしても自信が揺らがないための努力をするほうがはるかに有益なのです。

 

 ヨガ本来の目的は、こっちにあるはずなのです。カラダをより柔軟にすることでも、強くすることでもなく、硬いままでも、弱いままでも肯定できる心を手に入れていくこと。

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二重の幸せ増幅装置

 言い換えれば、「今の自分」において幸せになるためのアプローチであるということです。極端な話、「もっと柔らかくなりたい!」という気持ちでヨガをしていて、十分に柔らかくなる前に死んでしまったとしたら、その人は幸せを味わいきれずに一生を終えてしまうことになります。「今の自分を幸せにするためにヨガをする」という気持ちでいれば、毎日の実践の中で幸せを味わうことができますから、たとえその日死んでしまったとしても、味わえるだけの幸せは味わい切っているはずなのです。

 

 これは刹那的な快楽を得ることとは違います。刹那的な幸せは、他の時間を犠牲にしてまで「今だけの」幸せを得ようとする行為です。

 

 ヨガは、そうではなく、現在において幸せをかみしめることと、健康な心身をつくることでその後の幸せにもなるという、いわば二重の幸せ増幅装置なのです。

 

 この二重の意味において、特に前者を忘れないようにしたいですね。