仕事を分け合うカラダ
「カラダ全体を使う」ということ。
カラダをひとつの会社とし、カラダの各部位を大勢の社員、頭を上司に例えてみる。
カラダの全体をうまく使えず、カラダの一部だけが頑張ってしまう状態というのは、社員の一部だけが酷使されている状態。例えば重い荷物を持つとき、腕ばかりが頑張っているようだったら、それは腕という社員だけが仕事をし、あとの社員はさぼっている、といえる。
ここで、より重い物を持てるようになるための解決策として、「腕を鍛える」という発想がある。しかしこれは、さぼっているほかの社員はそのままにして、すでに働いている腕をさらに働かせることになる。
なんだかおかしい。だから、腕をさらに鍛えるのではなく、さぼっている他の社員にも仕事を分け与え、みんなで協力して仕事をしよう、という発想が武術的な発想になる。
誰かが過剰に仕事をしていたら、みんなでサポートしてやる。誰か仕事をしていない人がいたら、仕事を分配してみんなで働く。このような会社では、社員のみんなは協調性に溢れ、心地よい雰囲気に包まれそう。
これはカラダも同じで、カラダの各部位が協調して働くことができるということは、カラダの中に優しい社員を「雇う」ようなもの。
社員一人ひとりが協調性に溢れていればその会社が心地よい雰囲気に包まれるように、カラダの各部位が協調して働けるカラダであれば、その人自身が纏う性格にも当然影響する。
逆に言えば、カラダの各部位を鍛えるという発想は、「俺が俺が」と仕事を欲しがる社員をカラダの中に飼うようなもの。
カラダの各部分がケンカしていれば、当然晴れやかにはなりにくい。
カラダの各部位が協調し合い、仕事を分け合える関係であること。上司は、でしゃばる社員だけではなく、全員に仕事を分け与えること。どちらかを目指すなら、僕は迷うことなく「全員が働く会社」のようなカラダを目指したいと思う。
武術というと野蛮というイメージがつきまとうけれど、実はカラダ全体をうまく使うことによって、「心地よいカラダ」を目指すことでもあるのだろう。