前回から引き続き、「原因と結果の究明に忙しい世」ということについて書いてみる。 この思考パターンに慣れ過ぎると、特定の何かを、すべてを解決するような救世主的存在として置きたくなる。 ヨガを伝える際も、そんな願望を持っていそうな人に出会う。 あ…
以下の文章を読んだ時、ちょっと救われた気がした。 夢を語ればその動機を問われ、信念を論ずればその根拠を訊ねられる。病があれば病因を探りはじめ、事故があれば責任の所在が追及される。とかくに人の世は、結果と原因の究明に忙しい。 しかし世界は、原…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。