体和 Tai-wa 日記

休学中の大学生。ハートオブヨガ日記、読書記録、身の回りの出来事など

色覚補正メガネの検査・試着をしたが、購入はしなかった話

以前、色覚についてを連続で書いたけれど、今回はその続編。 最近、あるメガネ店に行ってきた。 目的は、「色覚補正メガネ」というものの検査と試着。 色覚特性(一般的な人と、色の見え方がズレてること、以前は「色盲」とか「色覚異常」と呼ばれていたが、…

ハートオブヨガ 僕らに接続されるヨガ

どんなに素晴らしい、洗練された文化でも、この世に素晴らしいものとして表れてくるには、ひとつのハードルを超えなければならない。 それは、「あなたが実際にやる」ということだ。 (別にあなたじゃなくてもいいのだが、実際に生きている人によって為され…

存在肯定について

電車の中に赤ん坊がいると、周りの大人たちが、全くの他人にも関わらず、赤ん坊に笑いかけることがある。赤ん坊たちは、存在しているだけで、絶大なる肯定のまなざしを向けられているようにみえる。 自己が存在していることに対する肯定感。僕自身がそれを育…

自然との関わり

自然が美しい、と言う時、 自然とのリアルな関わりの中で、辛苦も共にし、その上で美しさを垣間見ることと、 管理された自然を無害な立場から傍観者的に見て「美しい」と言うことは、 全く違う。 文明人は、圧倒的に後者が多くなる(「植物園」なんていうの…

観察という言葉について

世界を眺めたとき、そこに美しさが見えるだろうか。 もし見えないのなら、美しいと知覚することを妨げている何かが(自分の中に)あるのだ。 しかし、もっとよく見ると、 その(妨げになっている)「何か」すらも、世界の美しさの一部なのだ。 だから、自分…

印象的な言葉たち

昨日、私は今日よりも照らされ方が少なかったわけではないし、今日、より多く照らされているわけでもない。なぜなら、もし昨日私が事をこの様に見ることができたなら、私は確かにそう見ただろうからである。(『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』) なんだ…

なりゆくこと、流れること、美

数回にわたって書いてきた『時間の終焉』(クリシュナムルティ/ボーム)のまとめ。 「今の自分ではない何かになろうとすることが、人類の苦しみの根源である。」哲人宗教家のJ.クリシュナムルティは、そう言い切る。それを、一般的命題として語ることには、…

心理的時間と、視覚、聴覚

書評『時間の終焉」(J.クリシュナムルティ/D.ボーム)③ 心理的に時間から自由であるとはどういうことか? それは(一面的には)、「私」をAだと定義し、それを保持しようとしたり、 AではないBになろうとしたりする心理的努力から解放されることである。 そ…

夢みたこと「ひとりでは出られない」

書評 『時間の終焉』 J.クリシュナムルティ/D.ボーム② この本を読んでいる最中、変な夢を見た。 非常に短く、ストーリーとしても変だけれど、とても示唆に富んだ夢だったので、少し書いてみたい。 友人数人を含め、なぜか僕らは戦場にいた。 そこでは、不毛…

技術的知識と心理的知識

書評『時間の終焉』J.クリシュナムルティ/デヴィッド・ボーム① 私たちは、脳に確かさを与えないように、それを確かな状態にさせるような知識を求めることなく生きる方がいいのだと思います。・・ いかなる知識も永久に固定することなしに学んでいけば・・ (…

「愛」の出所

Body loves its breath. Inhale loves exhale. (身体は呼吸を愛している。吸う息は吐く息を愛している。) ハートオブヨガ提唱者、マーク・ウィットウェルの言葉。 この言葉が意味しているのは何か? 端的に言うと、 愛の出所は「私」ではないということ。 …

カフェインが効きすぎることについて。こころとからだの観察記。

僕のカラダは、カフェインに敏感らしい。 コーヒーや紅茶を飲むと、頻繁にトイレに行かなければならなくなるし、 その晩眠れなくなることもよくある(あった)。 例えば、 ・午後3時にカフェでコーヒーを飲む。 →朝5時まで眠れない。 ・午前10時に家で紅…

弱さ

破壊のたやすさ。 ほんとにちょっとしたことで揺らぎ得るということ。 しかも、揺らぎの要因は至る所に溢れており、むしろ安心していられるのは奇跡的だということ。 さまざまな要因に下支えされた「安心」が、 何かのおかげだなんて簡単には言えないし、 ま…

「美」のありか

たぶん、 桜の花が美しいのではなく、 世界に遍在している「美」を、 桜の花が僕らに知覚させるのだ。 その気になれば、 どんな経験からも、 「存在していること」が潜在的にもつ「美」に到達することはできる。 問題は、「その気になれないこと」があまりに…

ハタ・ヨーガの自己愛的な性格と、世界への愛

カラダをえこひいき的に愛することと、 カラダへの愛から世界への愛へと広げていくことの違い。 「私だけは!」「このカラダだけは!」という仕方で現れてくる自己愛的なカラダへの愛は、偏愛だ。 アーサナを中心としたハタ・ヨーガの実践は、一見このような…

ヨガは「誰でもできる」のか

(前回の続き) もしヨガが全人的なものであり得たとしても、 実際に僕がヨガを伝えるとき、 具現化するそのかたち、言語化するその言葉は、 目の前にいるあなた専用であり、決して全人的ではあり得ない。 全人的であることを志向しつつも、 目の前の人に向…

ハートオブヨガ、先人たちへの信頼

いのちに導かれて動く。 すると、自分があれこれ考えようと、有無を言わせないほどの強い必然性を感じられたりする。 一人称「私」を大きく超えた、大文字のいのちの力。 さて、ヨガにおける「アーサナ」はどうだろう。 どの程度動くかは、その時のいのちの…

完了する吐く息、志向する吸う息

母との会話を通して分かったこと。 「そのままでいい」は、「そのままでいろ」じゃない。 生きようとする欲動として、運動として、方向性として、「いま」が存在している。 だから、未来を志向することが、今のこれではなくあれになろうとすることが、 その…

ポーズをとるのは誰か。

そういえば、インドでこんなことを言われた気がする。 「ポーズをとっているのは、わたしではない」 この時は、えらくスピリチュアルな言葉に聞こえた。 実際、この言葉の発言者は、おそらくヒンドゥー教徒で、「わたしではなく、シヴァがわたしにポーズをと…

補助輪との友好な関係

頼りにはなっても、全面的には頼り切れないと悟った時から、自立が始まる。 まだ支えが必要な人に、「補助輪なんかに頼ってないで、早く自立しろ」と言うのは、ちょっと的外れだ。 補助輪の「補助輪性(いつかは取り外し、自らの足で歩む覚悟をしつつ付き合…

見つめるということ

いろいろな自分がいる。 中には、認めたくないようなヤツもいる。 そんなヤツは排除して、自分にとって都合のいい部分だけ育てたくなったりする。 でも、認めたくないようなまさにその部分が、実は自分の生命を成り立たせてくれていたりする。だから、しょう…

いのちという〈コト〉

私のそもそもの原点は、昆虫が大好きな昆虫少年として野原で虫を追いながら、自然の美しさや、例えば蝶の一生での、それが芋虫(幼虫)から蝶(成虫)に変わっていくメタモルフォ―シス(変態)のすばらしさなどに感動したところにあります。(・・) 生命と…

何を願うのか

自分がすこやかでいたい。 家族がすこやかでいてほしい。 できれば、みんなが、全人類が、全生命が、すこやかでいてほしい。 そこにおいて、使えるものは使えばいい。 回りくどいよりは、すみやかなやり方がいいだろう。 複雑なよりは、たやすい方がいいだろ…

『ピダハン』

久々のブックレビュー。 今回は、アマゾンに住む少数民族、「ピダハン」についての科学ノンフィクション。 言語学者でありながら伝道師のアメリカ人ダニエルが、未知の文化、言語に飛び込み、 アマゾンで暮らす彼らの生活を明らかにしていく。 このピダハン…

ヨーガ・スートラ超簡約(講座用メモ)

*テキストには書かれていないこと 「真実はテキストの中にではなく、あなたの中にある。あなたが真実である」 したがって、読まなければならないテキストはないし、理解しなければならない哲学もない。だから、もしヨーガ・スートラに書かれていることを理…

「異」との幸運な出会い

あらゆる限定を取り去って自由に振る舞ったり、 すでに与えられている生命のすばらしさを味わったり、 そんな体験をし、そのような仕方で生きていくことを導いてくれるような実践体系がある。 しかも、その実践における「技法」などの優越によって、権力構造…

注意と散漫 ヨーガ・スートラをめぐって

僕らのマインドは、集中したり、散漫だったりする(集中、としたけれど、中に集めるのではなく、対象に注意を向ける、というイメージ)。 何かに集中しているのであれば、その対象を手掛かりにして、世界との関係を取り結ぶことができる。 この状態は、他の…

バンダ、生命、おしっこの話

ヨガをしている最中、トイレに行きたくなってしまった。 が、少しキリが悪かったので、少しそのまま続けた。 その時に、漏れないように我慢してくれているカラダの不思議さを垣間見た。 バンダ(bandha)。 ヨガをやっている人なら、一度は聴いたことがある…

生命のヨガ 途切れることのない流れ 

僕らがふだん意識していなくても、そこにマインドを向けてやらなくても、 生命はある。血が流れている。心臓が脈を打っている。呼吸が出たり入ったりしている。 それらは、本質的に、nurtiring / caring process (生命を養い、癒すプロセス)である。 たと…

ダーラナ、ディヤーナ、サマーディ

前回の考察から引き続き。 ひとまず世界の中で他から隔たれたものとして「個」を想定し、その「個」をより幸せにしようとする努力 =きわめて人間的な、誰もがやっている努力 この努力は、見られるもの(プラクリティ)の内部のことであり、この努力に躍起に…